Snowgarden ~時間の逆廻し~ss-04: 『殿下』

 一方的に仕事を告げたヴィルフリート・ケーニヒが帰っていった後のことである。
「先生先生、隣国の王女と恋仲だったって話、もっとちゃんと聞きたいです!」
 輝く表情で、シィル君が問いかけてきた。
 彼は会話の中では一旦追及を諦めていた。しかし、だからといって、その話への興味が失せたわけではないだろうと予想はしていた。しかし、実際に問いかけられると、胃の辺りがギリギリと傷むものである。
「そういう君は好きな女性はいないのかい?」
 話題逸らしに問いに問いで返したものの、彼にそういった相手がいないことは確信していた。彼は青春を投げ捨ててしまっている。
 事実、シィル君は大仰に頷いた。
「そんなのいませんよ。だいっきらいな女とか、憎い女とか、もっとも不幸を願う女ならいますけど」
 その全ての答えは同一の女性を指している。マルガレーテ・アルニムだ。
 口にするのも忌々しいはずの彼女の存在を彼がほのめかしたのは、要するにわたしに対する脅しであろう。
 このまま彼に会話の主導権を渡して置くと、マルガレーテ・アルニムへの恨みつらみを晩まで聞かされることは想像に難くない。それが嫌ならはやく吐いてください。と彼の声が聞こえるようだ。
「……彼女を持ち出すとは、君はそんなにエフィルリーア殿下の話が聞きたいのかい?」
「もちろん」
「はあ……」
 思わずため息が漏れる。
「別に面白い話じゃないよ?」
「面白いかどうかは私が決めますから」
「…………」
 随分と楽しそうなシィル君に対し、わたしはどんどん気が重くなっていく。
「話が長くなるか短くなるかはわからないけど、まあ、お茶をいれなおそうか」
 空になったままのカップを下げて、流し場に行く。
 現実逃避というよりは、殿下のことを思い出すだけの時間が欲しかった。

 新しいお茶を、テーブルの上に置くと、シィル君が楽しげに身を乗り出してきた。
 意外に君は、こういう話が好きだねえ……。と言いかけてのみこんだ。青春を投げ捨てている彼が、他人の恋話を聞きたがるのは、割と良いことのような気がしたからだ。全く他人に興味がないよりは、精神のありようとしては、遥かにましといえるのではなかろうか。わたしの心境はともかくとして。
「さて、と……」
 お茶のカップを手で包み、何処から話そうか考える。
 すっかり記憶の遠くに行ってしまっていた、エフィルリーア・ルクルという女性のことを思い出しながら、わたしは口を開いた。
「まあ、なんというか殿下は、とても……とても自信家で攻撃的な人だったねえ。口より先に手がでる系の……」
 彼女に師事していたころのわたしは、怪我が絶えなかったものである。もっとも、魔法で直後に治癒していたが。
 当時の恐怖を思い出しながらの説明に、シィル君が表情をゆがめた。
「す、凄く凶暴な人なんですね……」
「まあ、殿下は魔法の師としては、あれでよかったんだけど。痛みに慣れなきゃ魔法なんて使ってられないしね……」
 だからといって、与えられた痛みに対し、理不尽さを感じないわけではなかった。わたしがハースでなければ逃げていたかもしれない。振り返れば、ため息しか出てこないものである。
 眉を顰めたままのシィル君が呟いた。
「なんでそんな難儀な人と恋仲だなんて噂が立ったんですか?」
「それは、わたしが聞きたい。そもそも、あの頃のわたしは十二、三の子供だよ」
 さらに言えば、殿下は五つ年上の十八歳である。十八の成人女性が、十三の子供とどう恋仲になるというのか。
 殿下はことあるごとにわたしの魔法の腕を褒めていた。芽の出ない弟子は片っ端から切っていったエフィルリーア殿下が珍しく褒める生徒。ということで確かに注目は浴びていた。だからといって、殴られ泣く。蹴られ泣く。結界術が得意だと露見してからは、殺すつもりの魔法をぶつけられて死に掛ける。このような関係の、どこにそんな誤解が生まれるというのだろう。
 正直な所、こんな話がノース・トユにまで届いていたということに衝撃を覚えずにはいられなかった。
「もう、本当なんで、ヴィルフリート・ケーニヒはこんな話を知っているんだろうねえ……」
 先ほど、決定的な決裂を感じた少年を思い出しながらぼやく。何が嫌かと言うと、彼に知られていたことが最も嫌だ。
「うーん、ケーニヒは意外にチャラい恋愛話大好き男なんでしょうか」
「……それは、わたしに聞くより、君のほうが良く知ってるんじゃないかな」
 私的交流など全く無いわたしより、シィル君のほうがケーニヒについては詳しいはずである。まあ、返答など聞かずとも、彼が『意外』と言った時点で答えは出ているわけだが。
「女の子の話どころか、ヴィルが他人といるところなんて滅多にみませんよ」
 案の定な答えが返ってきた。
 しかし、本人は気づいていないようだが、ヴィルフリート・ケーニヒと最も一緒にいる他人は、シィル君自身なのではなかろうか。
 と言うと、彼が怒り出しそうなのでお茶を飲んで誤魔化した。
 カップを皿に戻しながら、わたしはふと、ヴィルフリート・ケーニヒにまつわるある噂話を思い出した。
「ああ、でもケーニヒといえば……」
 言いかけて、言葉を切る。このまま続けるとマルガレーテ・アルニムの名が出てくる。彼の機嫌を損ねそうな予感がした。
「なんですか?」
「……マルガレーテ・アルニムの名前が出ても平気かい?」
「……もう出てますけど」
 言われて気づいた。わたしももう年だろうか。
 興味はあるのだろう。苦々しい表情ではあるものの、シィル君はわたしに続きを促してくる。
「えっとね。上司が中央塔のメンテナンスに行った時、マルガレーテ・アルニムがヴィルフリート・ケーニヒに笑いかけているのを見たそうだよ。と」
「なんですかそれ、意外に仲いいんですかね」
 シィル君が瞠目する。
 わたしとしては、マルガレーテ・アルニムが笑っていたと言うことの方が驚きなのだが、シィル君は二人の交友関係のほうが気になるようだ。
「お互いノース・トユの中枢にいる人間だし、意外に気安いのかもしれないよ」
 と言ってみたものの、気安いケーニヒも、気安いマルガレーテ・アルニムも、想像すると悪夢のようである。
「悪夢、か。上司が夢でも見ていた、という方が信じられる気はするね」
「ですねえ。同意します」

 気がつけば、殿下の話からヴィルフリート・ケーニヒの話になっていた。
 まあ、ケーニヒも王弟殿下なのだが。

2013年09月22日/リハビリ? がてらに。

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