Snowgarden ~時間の逆廻し~ss-03: 『魔法戦』上

 ノース・トユの中央塔、一階訓練室。
 わたし――クルト・ハースと王弟ヴィルフリート・ケーニヒを取り囲んでいる男が五名。
 いかにもといった黒ずくめの彼らは、一様に得物を手にしている。
 察するに、連中はわたしたちを殺しにかかっているわけである。
 戦闘訓練があるので訓練室に来い。ケーニヒからはそう聞いていたのだが、指定場所で待っていたのはどうやら実戦だったようだ。
 わたしたちに向けられた殺気は本物だ。
 これは一体どうしたことか。暗殺者から身を守る実践訓練とでも言うつもりか? 本物の暗殺者を使って?
「ケーニヒくん、これは?」
「知らん」
 ヴィルフリート・ケーニヒは言い捨ててそっぽを向く。表情はいつものように冷静さを保っているが、実は余裕があるわけではない。額にじわりと浮かぶ汗が、彼の動揺を物語っている。
「”しらん”のは本当のようだねえ」
 どこぞの女王陛下なら、知っていてもしれっと否定しそうだが、生憎というか幸いにというべきか、ヴィルフリート・ケーニヒはそういった方面にはさほど器用な人間ではなかった。
 それに連中の殺気はわたしだけではなく、ヴィルフリート・ケーニヒにも向けられている。王弟殿下すら殺そうとする彼らは、恐らくシステムへの反逆者という奴だろう。
「まあ、きっと君は酷いことにはならないよ」
 ケーニヒの実戦における技量は知っている。
 たとえ連中が達人クラスの腕前を持っていたとしても、彼が凌ぎきれないということはないだろう。
 わたしはわたしで、まあどうにかなるだろうと思っている。魔法などという普段はデメリットしかない力、こういう時くらいは役立ってもらわねば。
「とんだ戦闘訓練になったもんだ。はは、参ったね」
 笑った瞬間、それを隙とみたのか、一番近くにいた男がすっと動いた。
 わたしがそれを確認した時には、既にケーニヒが動いていた。男の間合いに一瞬で踏み込んだケーニヒは、わたしにはほぼ視認不可能な速さで男の身体を二つに分断した。
 悲鳴はなかった。ただぐしゃりと肉がおちる音と、びしゃりと液体が飛び散る音がその男が立てた最後の音となった。
 刹那の間にひとりを屠ったケーニヒの技量に、残された四人の間に動揺がはしる。
 それは私も同じだった。
「疾風のケーニヒとか、恥ずかしく二つ名を名乗ってみるのはどうかね」
 どうでもいいことを口走ったのは、現実逃避だ。
 正直なところ、わたしは自分の血や傷口はいくら見ても平気なのだが、他人の血を見るのは非常に苦手だった。
 本音を漏らすなら、吐きそうだ。
「クルト先生、いい加減それを直さなければ死ぬぞ」
 わたしが、死体から目と心をそむけたことを知っているケーニヒは、冷たく吐き捨てる。
 彼はわたしが死ぬと本心から喜ぶ人間である。それなのにわざわざ忠告してくれるあたり、なんだかんだいって律儀な男であった。
「ご忠告痛み入るよ」
 わたしが返答を返す間に、ケーニヒは手首を振り、目に見えない刃についていた血を払った。
 見えないが存在するそれは、創始時代に造られた武器のひとつだという話だ。
 ケーニヒを警戒し、遠巻きにしていた男達の一人が目を眇めた。
「それは、ヴォルフガング・ハースの不可視の刃か」
「そうだよ」
 ヴォルフガング・ハースの名に顔をしかめたケーニヒの代わりに、わたしは彼らに答えた。
 六十年前、大罪人ヴォルフガング・ハースが使っていたとされる目に見えぬ刃。わたしが知るかぎり、ケーニヒはずっとそれを己の得物としている。
「ケーニヒくんはとても矛盾しているんだよ。ハースなんて大嫌いなのに、わざわざわたしの大叔父と同じ武器を好んで使う。何故なんだろうね?」
 本当に何故なのか。
 ケーニヒの考えることはさっぱりわからない。
 まあしかし。思考が矛盾しているのはケーニヒだけではない。わたしだって同じ穴の狢だ。
「それにしても君たちはノース・トユの内情に詳しいね。ヴォルフガング・ハースの不可視の刃なんて知っているのは、祖母とわたし、スティナー・アレン・シィル。ケーニヒくんとマルガレーテ・アルニムくらいのものだとおもっていたけど」
 そのうちの二人は既に故人だ。忘れられていくだけだったはずのその知識を、彼らはどこで知ったのか。
「……どこの手のものなのかね?」
 疑問を口にするが、連中の返答はない。
「だんまりかい? まあ、君たちには説明の義務は無いから仕方ないか」
 彼らが馬鹿ならベラベラ喋ってくれたかもしれないが、さすがにそんな馬鹿は含まれていなかった。
 わたしと彼らのやり取りを眺めていたヴィルフリート・ケーニヒが口を開いた。
「先生はあの男を倒せ。殺すな」
 端的な、命令。
 あの男とは、先ほど不可視の刃に言及した男のことだ。どうやら、残りの三人は一手に引き受けてくれるらしい。
「ありがたい話だね」
 ため息をついた瞬間、わたしが魔法で生み出した空気の塊が、男を横殴りに突き飛ばした。

 ヴィルフリート・ケーニヒが引き受けるといった以上、他の三人の連中のことを気にする必要はなかった。
 わたしは杖をかざし、周囲の魔力を捉え、先ほど魔法で殴りつけた男だけを射程に入れる。彼が腰の剣を抜く前にさっさと片付けたかった。
 杖を男の足元に向け、わたしは一気に魔法を組み上げた。
「固定、拘束」
 つまらない呪文だが、こういう単純なものが一番イメージがぶれず使いやすい。わたし以外の魔法使いの呪文も、わたしが知る限りではよく似たものだ。
 干渉された魔力は光を帯び、男の足元の空気を固め拘束する。しかし、
「分断」
 男が指先を動かすだけで、わたしの魔法は音もなく分解された。魔法は魔力に還され空気に溶ける。
 その分解魔法の行使には杖は使われなかった。血を介すことさえなかった。
 リュートリアの魔法ではない。ノース・トユの魔法でもない。
 そのような技術の持ち主は、あの国の人間しかいない。
「……そうか。君らはナティルの人間か」
 ナティルの丘。六十年前の事件でノース・トユとディスカに干渉してきた魔法勢力。彼らなら、確かにヴォルフガング・ハースの記録を残しているだろう。あの事件の中核に、大叔父と共に彼らの姿はあった。
 問題は、何故ナティルの人間がノース・トユの人間を襲ってきたかということだ。現在、ナティルの丘とノース・トユの関係は、それなりに良好であったはずだ。それに、ハースの人間は盟約のもとナティル宗家ウェズの保護下に入っている。
 一体どんな思惑があって、ナティルはそれを反故にするのか。
「……なんてことはどうでもいいか」
 情報がないことをいくら考えてもどうにもならない。
 気を散らしていないで、この場はさっさと状況を片付けることを考えるべきだ。
 しかし、血を介すプロセスをひとつ省けるために、男の魔法の発動は無駄がなく早い。単発の魔法を撃ってみたところで、一瞬で消滅させられて終わりだ。
「……数に任せてみるか?」
 ヘタな鉄砲数うちゃあたる。そんな言葉がノース・トユの古い言葉にあった。杖を振り、正にそれを実践するかのように、わたしは男の周囲に大量の炎の棘を生みだした。しかし、
「融解」
 男の呟きのもと、そのことごとくがはらはらと、揺らめき溶け崩れ、儚く散っていく。
 残ったものは、分解された濃密な魔力の残滓と、かすかな熱の名残のみ。
「……見事なものだね」
 そして厄介だ。彼の魔法の効果範囲はかなり広い。
 早く、広いそれにどう対抗しようかと思った時、男の声が響いた。
「流星」
 男が指を鳴らした瞬間、うまれ放たれた星の群れがわたしのもとに飛来する。
「っ」
 考えるより先にわたしは杖を振るっていた。
「壁、内包」
 杖の軌跡に沿って、足元から光が立ち上る。その光は降りそそぐ星の雨を魔力ごと飲み込んだ。
 続けてわたしは矢継ぎ早に呪文を繰り出した。
「転化、再構築、境界、強化」
 相手の魔力を組み立てなおすことで、わたしの光の壁は厚みを増す。
 それを見た男は表情をゆがめた。
「魔力を食いやがった……禁術か!」
「いや、禁術のように身体に取りこんだわけではないよ。分解したその場で別の魔法に再構成したんだ」
 防御の結界に分解した魔力を取りこみ、強化に使っただけだ。男の分解魔術に先を与えただけの代物。
 禁術のように他所の魔力を分解し身体に取り込むなんてことは、そうそうやるものではない。たとえ取りこんだ魔力量に対し身体の魔力容量が足りていたとしても、魔力の逆流で器が傷む。長生きしたいと願ったことは無いが、わざわざ寿命を縮めたいともおもわない。
「受けた瞬間に分解再構成……そんな複雑な魔法を実用レベルで使えるなんて、あんた一体、どんな速さで構成しているんだ」
 わたしの説明を聞いた男の声には呆れが含まれている。しかし、ナティルの魔法使いに呆れられるいわれはない。
「君の言うとおり、わたしの魔法は構成が早いのが売り……だったんだけどね。魔力の行使に杖や血といった余計なプロセスを省けるナティルの魔法使い相手だと分が悪いねえ」
 いや、本当に。
 確かに構成そのものはは男よりも早いかもしれないが、発動段階でロスの少ない男の方が結果的に魔法の発動が早い。
 大技はそんなに向いていない部分を、数多の小技を速く正確に発動することで補っていたのがわたしの魔法の特徴だったわけだが、自分よりさらに高速起動できる相手には何の利点にもなりやしない。先ほどの防御はかなり時間的にきつかった。
「この魔法使いこそ、ケーニヒに斬ってもらいたかったな……」
 正直、速さのことを置いておいても、男とわたしでは魔法で戦うには相性が悪すぎた。
 男の魔法特性は恐らく分解。わたしが得意な魔法は防護の結界術。
 共に防御が得意なわたしたちの魔法戦は、魔法の打ち消しあいという地味なものにしかなり得ない。集中力を欠き、ミスをした方が敗北するという性質のものだ。
 最悪、双方の魔力と体力が尽きても決着がついていないということもあり得る。大層面倒な相手だった。これならいっそ、男が剣を抜いてくれた方が戦いやすい気がしないでもない。
 有無を言わさず、相手の魔法分解能力を超過した大技で吹っ飛ばすという方法がないわけではないが、攻撃魔法の出力調整が苦手なわたしがそれをした場合、下手すると塵も残さず消滅させてしまう恐れがある。
 殺すなというケーニヒの命令を無視する気にはなれなかった。

2010年10月06日

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