冬至祭は、新しい太陽の誕生を祝う、ノース・トユで重要とされる祭りの一つだ。
ノース・トユ首都、国の中枢を担う中央塔。
そこで働く者たちはいつもと変わらぬ様子を見せながらも、祭りの空気に少しだけ浮き立っていた。
表情に乏しい女が、幽鬼のように廊下を歩いていても振り返る者はいない。
中央塔をその女が徘徊しているのはいつものことだからだ。
彼女と職員はお互いに干渉しない。それがいつしか中央塔に出来ていた暗黙のルールだった。
冬至祭の当日も”魔女”マルガレーテ・アルニムは暦になどまるで興味がないようにいつもと変わらぬ様子で塔に現れ、そして何をするでもなく白い裾をなびかせ塔内を闊歩する。
しかし、その日は珍しいことに、そんな彼女に声をかける者がいた。
「マルガレーテ・アルニム。お前がいると折角の冬至祭が辛気臭くなる。他所に行け」
背後から突然投げつけられた、冷たく皮肉げな言葉にも、マルガレーテ・アルニムの表情は全く動かなかった。
彼女は機械的な動作で立ち止まる。
「あなたに命令されるいわれはありません。ヴィルフリート・ケーニヒ」
表情と同じくらい感情に乏しい声で、彼女はそっけなく答え、声を掛けた男――ヴィルフリート・ケーニヒに振り返った。
先のヴィルフリート・ケーニヒの声には『冷たい』という温度があったが、それさえも篭っていないマルガレーテ・アルニムの声は、響いた廊下に酷く虚ろな空気を生み出した。
声を掛けた男は、その空虚な雰囲気の中、平然と立っていた。
ヴィルフリート・ケーニヒという男は、そのようなもので揺らぐような精神の持ち主ではない。
お互い感情の乗らぬ顔で相手を見つめていたが、やがてマルガレーテ・アルニムが口を開いた。
「お祭りが……好きですか」
疑問系ではあったが、抑揚に乏しく、本当に男に対する疑問として発されたものなのかは断定しづらい言葉。
らしくないことを口にしたマルガレーテ・アルニムの真意がわからず、ヴィルフリート・ケーニヒは思わず言葉に詰まった。そんな彼に対し、マルガレーテ・アルニムは珍しく感情の乗った笑みを見せた。
それは表現するなら微苦笑といったものだろう。
表情とは裏腹に、変わらず平坦な調子で魔女は言葉を紡いだ。
「ヴィルフリート・ケーニヒは言いました。『折角の冬至祭』と。好きでなければ、そのような言葉を選ばないと思いました」
「それは」
ヴィルフリート・ケーニヒは何か言い訳しようとしたが、魔女は彼の様子には無頓着だった。
彼女の視線がうろたえる男から逸らされ、塔の窓、灰色の空に向く。
つられてケーニヒもそちらに目をやった。
重たい空から、白いものが舞っている。
白く、冷たく世界を塗りつぶすそれは、ノース・トユのごく当たり前の冬の情景だ。
雪を見つめる彼女の瞳が何処か優しげで、ヴィルフリート・ケーニヒは自分の目を疑った。生まれてこの方、彼はこの女のそんな顔を見たことがなかったのだ。
息を呑んだヴィルフリート・ケーニヒを見ないまま、マルガレーテ・アルニムはどこか遠い者に語りかけるように、ささやいた。
「私は好きだった。お祭りの日に一人でいることが少し寂しかったから、声をかけられて嬉しかった。ありがとう、ヴィルフリート・ケーニヒ」
声にも、ほんの少しだけ。読み取ろうとすればわかる程度の微かな感情がこもっていた。
好きだった。と彼女が過去形で口にした理由は、ヴィルフリート・ケーニヒにはわからない。ただそこに、マルガレーテ・アルニムの感情の理由が埋まっている予感があった。
彼は、ただ静かにその言葉を受け取った。
「……そうか」
女は表情を消すと、そのままヴィルフリート・ケーニヒの前から去っていく。
呼び止めようとしたヴィルフリート・ケーニヒは、しかし言葉を口に出来なかった。
そもそも、最初に魔女を追い払おうとしたのはヴィルフリート・ケーニヒ自身だったのだ。呼び止めるための言葉を、彼は持っていなかった。
遠ざかる後姿を眺めながら、ヴィルフリート・ケーニヒはぼんやりと呟いた。
「マルガレーテ・アルニムは寂しかったのか」
寂しかった故に、追い払われる言葉さえ喜んだ。というわけではない。それではただの馬鹿だ。
男が口にした辛辣な言葉が本音ではなかったことに、マルガレーテ・アルニムは気付いていた。
珍しく自分に声をかけてきたヴィルフリート・ケーニヒが、おそらく自分と同じ気持ちなのだということに、マルガレーテ・アルニムは気付いていたのだ。
見透かされていたことに何故か嫌悪感はなかった。
「そう。俺も、多分寂しかった」
言葉にすると、それは自分の本心にあまりにも近くて、ヴィルフリート・ケーニヒは自嘲の笑みを浮かべた。
2009年12月22日