Snowgarden ~冬の太陽~陽光の記憶、曇天の別離01

 ノース・トユの冬は厳しい。
 空を見上げても、雲に遮られ太陽の輪郭が見えることは稀だ。
 フィン・フロストにとって、現実はこの国の冬のように厳しいものだったが、同時に彼は太陽を持っていた。
 凍える中、ほのかに姿を見せ、指先を暖めてくれる冬の陽光が確かに側にあった。
 しかし、それも過去形である。
 陽は隠れ、二度と戻らなかったのだ。

 その日も世界は身を切るように冷たかった。
 早朝、寮の一室でフィン・フロストは目を覚まし、身震いする。
 電源の接触が悪い空調機器は、今朝も全く役目を果たさずに沈黙している。
 隣国、魔法王国リュートリアでは気軽に魔法で暖をとるらしいが、魔法使いがほぼ存在しないノース・トユではそれは夢物語だ。
 魔法へのほのかな憧れと羨望、あるいは激しい嫉妬と反感は、機械の国ノース・トユの国民の間に根付き、それはまだ幼い子供であるフィンも例外ではない。
「まほう、うらやましいなあ……」
 呟く声は小さく、まだ眠る同室の子供の耳に届くことはなかった。
 フィンはしばらく寝台に篭っていたが、やがて小さくため息をつく。
 薄いとはいえ、毛布に包まってさえ冷たい空気に身を晒すことに、毎日の事ながら躊躇いを覚え、しかし彼は思い切りよく寝台を出た。
 今起きなければ、朝の水汲みが授業までに終わらないからだ。
 七歳の子供の体温は高いが、外気に晒された途端すぐに冷める。
 ガタガタと震えながら、彼は自分のクロゼットを静かに開いた。
 瞬間、年齢に似つかわしくない皺が、フィンの眉間に刻まれる。
「……またかあ」
 クロゼットの中には質素な上下だけしか入っていなかった。防寒着の類が一枚も無い。昨日確かにあったそれがなくなっている理由は単純なもので、ただの嫌がらせだ。
 子供と言うものは残酷で、自分とは違う弱いものを容赦なく排斥する。
 両親のいないフィン・フロストは、彼らの格好の獲物だった。
 国立の幼年学校には生まれが良い者も多いが、それが彼らとフィンの格差を生んでいる。本来、七つという幼い子供の担当ではない水汲みを彼が行っているのも、それが原因だ。周囲はその面倒な仕事を、容赦なくフィンに押し付けた。後見人はフィンを学校に送り込んだけで、決して守ってくれることはない。顔さえ知らないのだ。
 寝巻きを脱ぎ捨て着替えると、彼は重い足取りで部屋を出た。
 廊下の窓から、強い風に揺れる木が見える。
 こんな天候で防寒着もなく外に出るのは確実に自殺行為だったが、押し付けられた水汲みを放棄することも自殺行為になることには違いなかった。さぼったことに対する報復は、間違いなくフィンに牙を剥く。人の悪意と自然の脅威。どちらに晒されることを選ぶかというと、フィンにとっては常に後者だ。
 英雄の慰霊碑の御前に捧げる水は、少し離れた広場の井戸から汲み上げることが慣わしである。そう遠くないとはいえ、広場までの道のりを考えて、フィンは憂鬱になった。

 井戸には先客がいた。全くの見知らぬ顔だ。
 学校においては、健全な精神と祖先への感謝の気持ちを育むための労働という名目で、年長の生徒による礼拝のための水汲み当番が実施されているが、この街は隅々まで凍結対策済みの水道が通っている。暖房の効いた屋内で事足りるというのに、わざわざ真冬の井戸に水を汲みに来る人間など滅多にいない。
 事実、フィンも他の人間がいるのを見るのははじめてだ。
 それは普段なら面白い事実としてとらえることが出来たかもしれないが、今日のフィンにとっては身の危険を高めるだけの事実だった。
 順番を待っている間に、本当に凍死するかもしれない。
 フィンはそれを少しでも遠ざけようと、水の容器を地面に置き、体温を保つために小さく丸まった。

「大丈夫?」
 そんな声と共に、フィンの体を暖かいものが包んだ。
 驚き顔を上げると、目の前には水汲みの先客が立っている。
 灰にくすんだ長い金色の髪の、十代半ばと思しき少年は、間近で見ても見覚えの無い顔だった。
 少年が先ほどまでと違い、上着を着ていない。そのことに気づいた時、ようやく彼の上着が自分に掛けられたのだとフィンは気づいた。
 戸惑ううちに、マフラーに帽子と、フィンの装備はどんどんと追加されていく。
 最後に少年に手を掴まれ、手袋をはめられた。
 すっかり少年の服装とフィンの服装は逆転していた。全くサイズの合っていないそれらは、少年の体温が残っていてとても暖かい。
 でも、これでは彼が寒いだろう。そう思ったものの、フィンは与えられたものを返せなかった。
 もう、寒くて、冷たくて、痛いのは嫌だったのだ。
 そんなフィンの内心を理解しているのだろう、少年はフィンの躊躇いを視線で許した。淡い水色の瞳に浮かんでいるものは、純粋な優しさだ。
「辛かったねえ……」
 そう言って伸ばされた手からフィンは逃げた。
 彼は優しいものを警戒する。水汲みを押し付けた上級生も、最初は優しかったからだ。
 しかし、そんな警戒は直ぐに薄れた。子供の理性など、身をくるむ暖かさにあっけなく溶かされてしまった。それは、ぬくもりに対する渇望を満たしてしまったのだ。
 逃げるのをやめたフィンの耳を、少年の手が暖めるように覆う。
 少年の指はフィンよりも酷かった。ひび割れが出来き、関節がぱっくりと口を開いている。感触はガサガサとしているのに、しかしフィンは今まで触れた何よりもそれを優しく感じた。
 お母さん。その存在を知らないフィンが口にすることはなかったが、知っていたなら間違いなく少年をそう呼んでいただろう。
 長いこと冷たかった腹のうちから、なにか熱い塊がわいて出た。それは腹を通り越し、喉をせり上がり、嗚咽として吐き出された。
 ただ、ずっと自分がそうしたかったように、フィンは思いのままに泣き声を上げた。
 環境に従うことを身に着けたといえど、所詮フィンは七つの子供で、感情の生き物なのだ。
 年相応に振舞うことを許されるなら、苦しみに怒り、暴れ、泣き喚き、駄々を捏ねるのが正常な反応だった。

2013.07.22

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