星灯たちの諧謔曲

第二話【運命の人】002

 大豪邸のオーラに気圧されてよくわからないうちに、ガーレスの先導で庭園を通過し、屋敷内に通されていた。
 我に返り、控えめに周囲を見まわしてみるが、やはり別世界としかいいようがない。
 廊下は広く、床には美しい赤い絨毯が敷かれている。こんな高そうなものを土足で踏みつけるなんてわけがわからない。いや、絨毯とは床に敷くもの、つまりは踏むべきものなのか? なんだかもうわけがわからなくなってきた。一部床板さえはがれている部屋に住んでいる僕には、一生縁のないものであることは確かだ。
 天井の照明はやたらと装飾性が高く、金の台と透明なガラスが複雑に絡まり合いキラキラ光を反射している。知識にはあるぞ、あれは隣国エランドルタで流行りのシャンデリアというやつだ。ちなみに火は灯っておらず、魔力も感じないので光源は憧れの機械式と思われる。
「おおお……」
 うらやましい。あれ、報酬にくれないかしら。外のゴージャスなガワは自室に吊ると天井落ちそうだから別にいらないから。中の光源装置だけでいいから。
 天井を見つめ、欲望に溺れていると、振り返ったガーレスが嫌そうな視線を向けてくる。おそらく貪欲な表情を隠しきれていなかったのだろう。危ない危ない。
「へへへ……」
 僕は愛想笑いでごまかした。
 ガーレスの目元はひきつっていたが、面倒ごとになるのはいやだったのだろう。そのまま無言でまた歩き出す。
 さすがの僕も神妙な顔つきで後に続く。



 ガーレスは、やがて一つの扉の前で立ち止まった。
「では、まずこちらの部屋でお嬢様の様子をお伝えしてから、お嬢様の部屋に案内……っ」
 ガーレスの言葉は、最後まで紡がれることはなかった。
 目の前の扉ではなく、その隣の優美な彫刻が施された扉が乱暴に開かれ、赤いものが飛び出してきたのだ。
「!」
 赤いものはガーレスと僕の間にすっと割り込み、止まった。
 輝くような笑顔を向けてくる美人……というよりは愛らしい、恐らく僕と同年代――十五歳くらいの少女だ。
 真っ赤なドレスを着ているが、まだほのかに幼さの残る容姿にはあまり似合ってはいなかった。
 しかし赤い絨毯の中に赤いドレス、この環境においては見事に迷彩色だ。事実、僕は彼女が立ち止まるまでその形を認識できなかった。その装束を選んだ彼女は、生粋の格闘家なのでは? 

「まあ、あなたが派遣されていらしたお医者様ね?」
 少女は両手で僕の手を握った。ほっそりとした、傷一つない柔い手だった。……あれ? 予想外に格闘技の経験はなさそうだ。
 それにしても、こんなお屋敷のお嬢様がどこの馬の骨かもわからない相手の手など握っていいのだろうか。
「お嬢様おやめください!」
 僕の疑問は正しかった。
 血相を変えたガーレスが、少女から僕の手を引き離す。
「どうして? せっかくわざわざいらしてくださったのに」
 ガーレスに咎めるような視線を送り、少女はドレスを摘み会釈した。
「ようこそおいでくださいました。わたくし、この家の次女のベリンダ・トレスです」
 好意的な言葉としぐさだが、先ほどから少女(ベリンダ様)の視線はこれっぽっちも僕に向けられてはいない。表面の態度とは裏腹に、僕には一切興味がないのだろう。しかし、それを表面に出さないのがお嬢様(セレブ)というものなのだ。たぶん。
「ご挨拶が遅れた非礼をお詫びします。薬師組合から派遣されてまいりました、アレイス・F・クレスタと申します」
 ガーレスにも言った台詞をそのまま繰り返し、頭を下げるが、ベリンダ様はもちろんこれといった反応を……いや、僕をガン見している?
 なんと、ベリンダ様と目があったのはこれが初めてである。
 彼女は見るからに動揺していた。
「あ、あなた……女性?」
「はい」
 正真正銘女だよ。顔だけ見ると父さんにそっくりだけど、全身を見ると間違えようが無いし、まあ声も似てはいないなあ。
「そ、そう……」
 ベリンダ様は、わなわなと唇を震わせながら何やら呟き始めた。
「……まさか女医だなんて……前の医者は男だったじゃない……何のために見せつけようと……いいえ、それどころじゃないわ!! 女! あなた、わたくしからガーレスを奪いにやってきたのね!」
 
 最後の方はほぼ絶叫しながら、ベリンダ様がガーレスに抱き着いた。
 抱き着く……?
 いや、これはそんな生易しいものでは断じてない。
 相手を持ち上げ、ギリギリと背骨や肋骨を締め付けるこの技は、
「ベアハッグ!!」
 このお嬢様、やはりできる!
 自分より遥かに体格に恵まれたガーレスを持ち上げるベリンダ様。その圧倒的パワーに僕は痺れる。
 好印象を抱いた僕とは正反対に、ベリンダ様は僕を敵と定めたらしい。
 鋭い視線を僕に向け、彼女は宣言した。
「この泥棒猫! ガーレスは絶対に渡さないわよ!」
「ど?」
 泥棒猫……?
 ……あ。あー……。
 なるほど、そういう。
 たっぷり十秒かけて、ようやく僕は理解した。

 つまり! なんと! 僕はお嬢様の手により、唐突に三角関係の一角に組み込まれてしまったのだ!
 ベリンダ様とガーレスと僕の三角関係だよ。なにそれ超わけわかんない!!

 医者という記号性で(あとろくすっぽ僕なんぞ見てなかったせいで)男だと思われていた時は、ガーレスの嫉妬心を煽るためにぽっと出の男に(まあ女だったわけだが)ベタベタしてたっぽいなあ。つまり当て馬扱い。やだなー……。
 そして今度はガーレスを横取りする泥棒猫扱いときた……。
 もちろん僕はガーレスは要らない。むしろ頼まれても要らない。正直に申し上げると彼への好意などみじんもない。感じの悪すぎた初対面のことを、忘れちゃあいないんだからな。
 いやいや、ガーレスへの恨みを思い出してる場合じゃないな。この状況をはやくどうにかしなきゃ、ガーレスの生命が危うそうだ。ベリンダ様が昂るたびにぎゅうぎゅうと締め上げられ、彼の顔色がどんどん悪くなっているもの。
 でもなあ、僕が直球でガーレスを放せと言うと、ベリンダ様はたぶん暴走する。なにせ彼女の主観では『恋敵が思い人を放せ(よこせ)』と言ってくるに他ならないのだから。
 僕には色恋沙汰の経験がないので断言はできないが、周囲を観察する限り、恋する乙女の独占欲とは激しいものだ。軽率な言葉でベリンダ様の独占欲が高まれば、ガーレスの背骨は全力のベアハッグにより最期の時を迎えるだろう。
 ……何この状況。面倒でたまらんわ……。
 ほかに使用人がいたら解決はその人に押し付けたいが、なんで通りかからないんだ。というか、この屋敷にきてから、僕はガーレスとベリンダ様以外の人間を見ていない。
 いやまあ……、ないものねだりをしてても仕方ないか。
 僕は二人、正確にはガーレスから距離を取った。ガーレスに興味がないことを示し、ベリンダ様を沈静化しなくてはならない。
 手段は……、思いつかないわけではない。
 できればとりたくない方法だが、この状況を穏当に解決するにはこれしかあるまい。

 僕はできるだけ真面目な表情を作り、息を吸った。
「ええと、安心してください。僕にはガーレスではなく、ほかに大切な人がいますから!」
 大切な人っていったい誰だよ!?
 脳内とはいえ、瞬時にいれてしまった自己ツッコミ。
 そのせいで、ホラだということが伝わってしまったのだろうか。ベリンダ様の締め付けが強くなり、ガーレスがキュっと悲鳴を上げた。
 すまぬ、ガーレス。思い人ねつ造作戦は失敗した。

 ベリンダ様が剣呑な目で僕を見る。
 彼女の顔にはもはや幼さなど残っておらず、ただ冷徹に獲物を狙う猫のような表情が浮かんでいる。怖い。
「そう。本当にそのような者がいるのなら、説明してごらんなさい。具体的にね」
 もし嘘だったら、その時は――。
 視線による言外の恫喝。
 アリーゼ師が不埒者によくやるやつだ、そして逆らったら本当にボコってる奴だ!!
 自分がされて、ズィルバー師がアリーゼ師を恐れる気持ちの一端を実感した。
 なにこれ怖い、本当に怖い。

 思考を整理する余裕はなかった。
 僕はそれが誰かも特定もせず、思いつくままに語りだした。
「……あ、ええと。基本的に優しいんですけど、しかるべきところではきちんと叱ってくれます」
 誰だよ。優しく厳しい人は周囲に何人かいる。まあ、師匠でないことは確かだ。
 ベリンダ様の表情は変わらない。
「簡単にその場しのぎに思いつきそうな話ね。それで?」
「……ご飯を一緒に食べてくれます。楽しく」
「そう、ガーレスは食べてくれないわ……。羨ましいわね」
 ベリンダ様は寂し気にぽつんとつぶやく。だが、そりゃそうだろう。ガーレスの立場を考えると一緒に食べるのはまずい。楽しくは尚更まずい。
 しばらくしょんぼりしていたベリンダ様だったが、気を取り直したように目つきの鋭さが戻る。
「わたくし、もっと個人的で具体的なエピソードが聴きたいわ。お食事の話でいうなら、楽しく、の部分をね」
「……はい」
 早く誰の話かを確定させないとまずいな。
 適当に思いつきでしゃべってるって確信されてる。
 実のところ、これまでの話に、ベリンダ様を納得させられそうなエピソードを語れる相手という条件を加味すると、候補はごっそりと削れセレストしか残っていない。いないのだが、僕はこんなしょーもないことにセレストを巻き込むのか……?
 そもそも僕は、自分では気づかぬまま最初からセレストの話をしてはいなかったか?
 何やってんだろうなあ。
 ……セレストごめん。せめて名前は出さないように頑張るよ。
 罪悪感を惨殺し、僕はつい先日のことを思い出しながら口を開いた。
「大好きな食べ物を買ってきてくれて、一緒に食べて。その間はお小言を待ってくれてたりして。……自分の名前の付いたお茶で喜んだり、よくわからないところもありますけど」
 内心の葛藤とは裏腹に、誰だかはっきりさせてしまえば、話はノリ始めた。
 セレスト茶のつくり方から、故郷での思い出をどんどん語っていく。
「僕がやる無茶に付き合ってくれて、見守ってくれて。いつも心配ばかりかけてるんです、子供のころからずっと」
 そんな立場に僕が引きずり込んだのだ。代償として、否応なく。
 やってくれたことは思いつくのになあ……。
 僕が純粋に彼のためになる何かをしてあげたことは、たぶん無い。
 僕は、常に彼に何らかの対価を強いている。

「……もういいわ」
 
 終了を告げるベリンダ様の声は、思いがけず穏やかだった。
 はっと顔を上げると、僕を射殺しそうな目で見ていたはずのベランダ様から、いつの間にか険が抜けている。
「その人の実在も、あなたがその人のことを大好きなのも、理解しました」
 え、本当に?
 うーん。僕がセレストを大好きなのは確かだが。恋愛感情でなくても納得してもらえるとは……。
「ガーレスに何の興味もないこともわかったわ。あなた、しゃべり始めたら、ガーレスの存在なんてすっかり忘れてるのだもの」
 それは、あなたが怖くて他に何も考えられなかったのも大きいですけど……。いや、余計なことは言わないほうがいいな。

 力の抜けたベリンダ様が、技を解き肩をすくめる。
 支えを失ったガーレスが床に倒れこんだ。ふかふかの絨毯が体を受け止めたおかげで、大した衝撃はなさそうだ。
 苦しそうにしているが、顔色は徐々によくなりつつある。
 ベリンダ様がしゃがみこんでガーレスの容態を診はじめた。愛し気に優しい手つきで背中を撫でているが、自分で痛めつけて自分で介抱する、それはまさしく自作自演……。

「……それで、いったいどういうことなのでしょうか? 僕をお召しになったご用件とは……?」
 ガーレスから説明がなされる前にベリンダ様が飛び出してきて、謎の三角関係が形成されてしまったので、もう本当何が何やらさっぱりだ。
 特殊な薬物を盛られたお嬢様というのが彼女なら、その割には元気すぎる。別の姉妹の話なのかな。少なくとも長女が存在するはずだ。
 だいたい、女医を求めていたという話は何だったんだ。どうも、ベリンダ様の男大歓迎っぷりから見て、本人のあずかり知らぬところで勝手につけられた条件だったっぽいな。
「お待ちください。その話は、部屋の中で……」
 よろよろと立ち上がったガーレスが、先ほど入り損ねた部屋の扉を開けた。促され入室する僕の後を、当たり前のようにベリンダ様もついてくる。
 通されたのは、控えの間といった感じの普通の部屋だった。
 部屋の真ん中に、木製の長椅子と机が置かれてる。
 僕が部屋を観察している間に、ベリンダ様が上座に座った。
「あなたもどうぞ、お座りください」
「では、お言葉に甘えて失礼します」
 おお、座面部分は布張りでふかふかだぞ。
 座った瞬間思わず笑顔になった僕に渋面を向けてから、ガーレスはベリンダ様の斜め後ろに控えた。
 が、超高速で振り返ったベリンダ様が、彼の腕をガッと掴んでしゅっと引き、一瞬で隣に座らせてしまう。
 目にも鮮やかな早業であった。
「お、お嬢様、このような……」
 ガーレスがげっそりと疲れた顔で何か言いかけたが、諦めたように項垂れる。
 うん、逆らっても意味ないと思うよ。僕は何も見てないし誰にも言わないので安心してくれ……。
「それでは本題に入りますが……」
 ガーレスが一端言葉を切り、周囲の気配を確かめてから、声を潜めて告げた。
「先ほどの様子からおわかりかもしれませんが、お嬢様は昨日のお茶の時間に……惚れ薬を盛られたようなのです。そのせいで私を、私などに……。なんとおいたわしい……」
 ガーレスの目じりに涙が浮かぶ。
「まって!!」
 机を殴りつけてベリンダ様が金切り声を上げた。
「そんなの盛られてないわ。ガーレスは運命の人よ。わたくしは、ガーレスを愛している!」



 ……惚れ薬、か。
 確かにベリンダ様はガーレスのことを愛しているように見える。
 そして、ガーレスの口ぶりからすると、以前のベリンダ様にそんな様子は見られなかったのだろう。
 おそらく茶か菓子を摂取したタイミングで熱愛が始まったため、原因を経口摂取……つまり薬と断定し、【種子掬う掌】に治療を依頼した。といったところか。
 おおむね納得できる経緯ではある。

 だが、魔術王国ラフェルタにも故郷フェムレーセーズにも惚れ薬なるものは存在しない。
 一般的な薬にも、専門的な魔術薬にも、アレイス・クレスタの秘薬にさえ存在しないのである。
 魔術王国ラフェルタは精神を歪めるものに対して、それが薬物であっても魔術であっても監視がかなり煩い。【宮廷】【紫の理の会】【十二真理の盟友】がありとあらゆる方法で常時見張っている。三者間で情報は共有されているし、【会】が得た情報のうち薬物分野に関しては僕にも筒抜けだが、今朝までに惚れ薬生成の報告はなかった。
 隣国エランドルタになら存在する可能性はあるが、それでもその効果を考えると噂くらいは流れてておかしくはないし、やはり三機関のどれかが押さえていると思う。
 ほかの可能性としては、どこかの秘境に密かに薬師一族が……いや、そんなのがいたらとうの昔にうちが接触してるか。
 結論。
 おそらく、ベリンダ様に薬物が使われているとしても、惚れ薬ではない。
 ただし、組み合わせ次第で、一見同じような作用を起こせないかというと、やりようによってはできそうな気がする。
 同様の可能性としては魔術、最近見た呪術でもあり得るかな。

 とにかく調べるしかないのだが、ガーレスとベリンダ様は現在取り込み中だ。

「ねえ、ガーレス。何故わたくしの愛を信じてくれないの!?」
 ベリンダ様に胸倉をつかまれ、ぶんぶんと揺さぶられるガーレスを眺めながら、僕は思った。
 ガーレスがボロボロなのって、ベリンダ様の愛が原因なんだろうなあ、と。