星灯たちの諧謔曲

第一話【たいしたことのない事件】001

 天に満ちた星星を眺める。
 その軌道を追えば、世界の流れが読める。繋がりを指でなぞれば世界のかたちが見える。かたちよりつむがれた物語には真理が宿る。
 それは魔術の常識であった。
 だけど、僕はそんなのと関係なく星星が好きだ。
 漆黒ではない闇の天幕、ちりばめられた光の宝石。届かないと知りながらも天上へと指を伸ばし、ただ遠い時間に思いを馳せる。
 魔術王国首都ラフェルタの夜空に星はよく見える。田舎だった故郷に比べると街灯りが邪魔になるが、この街の人々は魔術を愛し、それに連なる星を愛している。だから皆、星空を守るために夜の明かりを落とすのだ。それは、元からの住人である魔族も、僕のような他所からきた人間も違いはない。

「アレイス君。また、あっちの世界に行っているね」
 かすれた声で咎められ、僕の意識は星の世界から帰った。
 振り返った先にいるのは、【星見の語り手】と呼ばれる老魔術師だ。彼は今僕が臨時で雇われている研究室の責任者である。皺の深く寄った顔に反して、その髪は艶がある漆黒だ。それは魔族の特徴だった。

「サボってないですよ? 眠くて妙に気分が高まってるのは確かですけど」
 星を見て頭が妙な世界に旅立っていたが、手元の表にはきっちりと割り当てられた観測結果が記入されている。
 まあ、多少字がゆがんでるが、それはどちらかというと眠気から来たものだ。
 あくびをかみ殺す僕に、【星見の語り手】が労わるような視線を向ける。

「昼は魔術科学生、夕方は薬師、夜は臨時研究員、君も忙しいねえ」
「まあ、家業にも関わることなんで、才能が無いからと学生サボるわけにもいきませんし、薬師は家業ですし、……研究員は」

 僕は目を逸らした。
 四ヶ月前、僕が抱え込んだ借金は、薬師の仕事だけでは到底返済できる額ではなかった。こうして寝る間も惜しんで働くことになった原因である。まさか齢十五にして借金もちになるとは、人生最大の誤算だった。

「でもまあ。こうして星を見ている仕事に就けたのは幸運でしたよ。好きなことして収入が!」
 なんという夢のような環境! しかも、人間関係も概ね上手くいっているのである。万歳。
「本当に、変な風に気分が高まっているみたいだね……」
 大騒ぎする僕に呆れてか、【星見の語り手】は眉の下がった笑みを浮かべた。
「もう直ぐ夜が明ける。ゆっくり……とは行かないだろうが、きっちり休みなさい」
 老いた指が指す空は、茜色を帯びていた。



 小鳥達が囀り始める頃、研究室の仕事をつつがなく終えた僕は呼び出しを食らっていた。

「全く、朝っぱらから学生を呼び出して何を言うのかと思えば、何故よりによってそんなものを僕のとこに持ってくるんですか」
 僕は卓の上に置かれた一枚の紙切れを指差し、唸る。
 僕が浮かべている表情はさぞかし凶悪なものであろう。

「まあまあ、そう言わずに。呼び出しに応じてくれてありがとう。アレイス・F・クレスタ君」
 呼び出した張本人は威嚇する僕など気にも留めず、朝っぱらから油でぎっとりの炒め飯を食べにこやかに笑う。
 何の変哲も無いただの学生食堂で、僕の真向かいに座っている魔族の男は、何の変哲も無いただの男ではなかった。
 赤のローブを着込んだ彼は、その若々しく麗しい外見からは想像できないが、魔術師のお偉いさんである。
 僕が在籍している国立魔術学院の教員であり、学院内二大派閥の片割れ【紫の理の会(しのことわりのかい)】の第二位についている赤の魔術師。若き俊英。ズィルバー・シルトというのが、さまざまな肩書きをもつ彼の名前だった。直接師事したことはないが、授業以外で何かと縁がある相手である。

 ズィルバー師は、炒め飯の緑豆をより分けながら、僕の先ほどの言葉に答えた。
「ちょっとした厄介ごとが起こったんだけどね、皆忙しくて君しか手が空いている人がいなくて」
 ズィルバー師は困ったように笑いながら、卓の真ん中に置かれた紙切れ、……もとい『依頼書』に視線を送る。僕はまだ読んではいないが――読むつもりもないが、ズィルバー師が持ってきたそれは、さぞかしろくでもない依頼だろう。経験則として、僕はそれを確信している。
 依頼書から視線をそらし、僕は大きく息をついた。ため息ってやつである。
 元凶であるズィルバー師は、げんなりする僕に心配げにこう言った。
「ため息をつくと幸せが逃げていくそうだよ?」
「そんなもん、とうの昔に大脱走中ですよ……」
 あんたに呼ばれた時点でおしまいだよ。と心中で呟いた。

 それにしても、だ。ズィルバー師は勝手に決めてつけてくれたが、
「あのですねえ。手が空いている人間と仰いますが、僕だってそんなヒマってわけじゃないんですけど」
 昼は学生、夕方は薬師、夜は臨時研究員である。勝手に暇だと判断されても非常に困るのだが。大体、この呼び出しにより、午前しか取れない睡眠時間はギリギリと削られているのだ。
 嫌そうな態度を隠しもしない僕に対し、ズィルバー師は苦笑した。
「それは悪かったね」
「……本気で悪いだなんて思ってないでしょう?」
 突っ込んでみたところ、ズィルバー師は表情を変えぬまま目を逸らした。どうやら図星だったようである。

「でもね、この話、君にとって悪い話じゃないんだよ」
 ふと、ズィルバー師は困り顔をやめ真顔になった。
「この依頼、成功報酬で五十万を予定している」
「え。……そりゃあ、随分太っ腹ですねえ」
 僕は目を瞠った。
 いやはや全く。ちょっとこれには驚いた。
 五十万は例の借金の額の十分の一に当たる。これはかなり大きい。数日どころか二つ先の新月の巡りまでの臨時研究員による副業収入をはるかに上回る。
 少し、いや、かなり心が傾いた。

「そもそも、君は【会】の人間じゃないしね。厄介ごとを押し付けるのにこれくらいの見返りは用意しているよ」
「まあ、僕の所属は薬師組合のほうですけど」
 ズィルバー師はそう言うが、その薬師組合は【紫の理の会】の傘下であるし、外部の人間だと主張することをためらう程度には、僕は【会】の恩恵を受けている。金銭的な見返り無しで厄介ごとを引き受けることになってもそれが当然だと思っていた。今回の仕事はどえらい厚遇だなあ。というのが正直な感想である。

「確かに、これは悪い話じゃないですね」
 少しやる気がでた僕は、見向きもしなかった依頼書にはじめて目を通す。しかし、すぐに間抜けな声を上げる羽目になった。
「……か、髪切り魔ぁ?」
 ズィルバー師の持ち込む厄介ごとなどろくなもので無いと思っていたが、そこに書かれていた内容は想像のはるか斜め上を行っていた。
 見出しが『学生街に出没する髪切り魔の捕縛依頼』である。詳細は特に書かれておらず、依頼者名として【紫の理の会】の印がおされているだけだが、僕はこの依頼がいかに怪しくビミョーなものなのかを、この一行で理解してしまった。

「髪切り魔って……なんつー時代錯誤な」
「というわけでもないだろう。君も魔術学院の学生なら、髪に宿る呪力は知っているだろう」
「いやーまあ、知ってますけどー……」
 いい加減な態度の僕とは違い、ズィルバー師は大真面目だった。さすが 【紫の理の会】のナンバー二。地位のある男というのは、余裕があるものだと感心させられる。
 逆に、地位も何も無いただの学生兼薬師兼臨時研究員……いや、魔術学生に関しては「ただの」を通り越して「無能」である僕は、かなり不真面目かつ余裕がなかった。だって、『髪切り魔』だもんよ、怪しすぎるもんよ、不気味だもんよ、関わり合いになりたくないんだもんよ。報酬に釣られて出たやる気も失せたわ!
 絶対やりたくない、断ろう。きっぱり一撃一刀両断。僕がそう決めた瞬間、
「髪切り魔がそんなに嫌なら、私が片付ける予定だったセリンの森の目玉抉り事件と交代してもいいよ」
「ぐふっ」
 飲んでたお茶をふきかけた。

 おいおいおいおい。このおっさん……いや、お兄さん正気か。色の名を頂く魔術師の仕事など、初級魔術師試験でさえ落第し続けている、落ちこぼれである僕にできるわけなかろうて。そもそもその猟奇事件、魔族で構成された宮廷魔術師団でも解決できなかった奴じゃないか。
 しかしまあ、人手不足というのが嘘でないことは理解した。派閥の第二位が自ら事件解決に乗り出そうとは、かなり切羽詰ってんだなあ。

 髪切り魔が嫌なのは揺るがないが、【会】の現状に同情し話を聞く気になった僕は、話の先を促した。
 頷いたズィルバー師は、僕の髪を指差した。
「これまでの被害者は皆金髪で」
 その指先が下方を向く。
「長髪だ」
 被害者たちとそっくり同じ特徴を持つ僕は、肩をすくめた。
「……ああ。そりゃあ、僕は適任ですね」
 被害者と同じ容姿を持つことを、ズィルバー師は強調した。そんな人間を事件にあたらせる理由は、ザ・おとり捜査。これしかあるまい。
 ズィルバー師の子飼いの連中に、その条件に合う人間は僕しかいない。知らぬ間に増えていたなら別だが。
「この髪で犯人おびき寄せてぶん殴れって言いたいんですよね?」
「うん。君のその容姿は好都合だよ」
 ですよねー。
 まあ、僕が断ったりすれば、別の方法でなんとでもするんだろうけど。



 その後も、ズィルバー師から事件の大まかな説明を聞かされた僕は、やがてため息と共に結論を口にした。
「まあ、この依頼受けます。受けることにします」
 結局流され、引き受けてしまう僕であった。
 お世話になってるズィルバー師の頼みを断るのも気が引けるし。髪切り魔を人手の足りない【会】任せにするのも心配だし。
 何よりも、報酬に負けたのだ。
 あの見返りのためなら打倒髪切り魔を誓ってもいいのでは、と自己暗示をかける気になるくらいには。

 僕が気合を入れる様子を眺めていたズィルバー師は、にこやかに微笑んだ。
「ありがとう。失敗しても髪を切られるだけなんで、そんなに危険はないだろう。今のところ、髪を切られた人間が呪われたって話も聞かないし」
 爽やかさに反し、なんとも無責任な発言である。
 今日までは大丈夫でも、今後の保証などどこにもないじゃないか。と、突っ込むのは頭の中だけにしとく。
 僕の内心の毒づきに気付かないズィルバー師は、依頼書に報酬の内訳を書き込んでいく。なかなか美しい字である。さすが派閥のナンバー二。

「基本的には成功報酬だけど、失敗しても依頼料という形で多少はでるよ」
「それはもう、胡散臭く思えるまでにありがたいですね」
 いや、マジでよ。【紫の理の会】のトップはケチで有名だけど、今回妙に随分太っ腹だ。何か裏があるんじゃ無いかと心配になってしまう。
「あと……」
 ズィルバー師はペン先を止めた。
 彼は脇によけていた皿を手に取り、僕のパン皿の上で傾けた。残されていた緑豆がゴロゴロと僕の皿の中に転がり込む。いやはや、よくもまあ、こんなにしっかり豆だけより分けたもんだ。
「それも報酬の一部ということで」
「……いや、緑豆、いらねえっすよ?」
 拒否したが、ズィルバー師は聞いていなかった。

 ズィルバー・シルト二十七歳。彼は緑豆が大嫌いな大人だった。