星灯たちの諧謔曲

第一話【たいしたことのない事件】008

 髪が短くなったことに対する周囲の反応は様々だった。
 一番失礼だったのは、薬師組合の本部長である。師匠の知己である彼は、僕を一目見るなり『プチ・キュープリオだ!』と言って腹を抱えて笑い出した。
 師匠にも僕にも失礼な男である。
 そのうち復讐することを誓う……というのは冗談だが、根に持っておくことに決めた。
 お礼に行った時のサミさんや、【星見の語り手】は、髪について特に何も言わなかった。その優しさが逆に痛かった。
 ああ、ちなみにまともなご近所さんを失った件であるが、僕の思い過ごしだったようで、サミさんの態度は店に案内した時と同じ感じだった。もしかすると、【会】の人間が何かフォローしてくれたのかもしれない。……いや、アレの何処にフォローする余地があるのかしら、と自分でも思うが。
 薬盛った上に、男担いで走り出す女とか、僕自身ツッコミ入れたくなるもの。
 数少ない友達連中は、適当にからかってきた。あれが一番気楽だった。
 ズィルバー師を含む、年上の知人が向けてきたものは、大半が哀れみである。

 そしてセレストは……、今僕の目の前にいる彼は少し怖い。
 先日のように僕の部屋を訪れた彼は、無言で椅子に陣取っている。
 表情がぴくりとも変わらないよ……。どす黒いオーラさえ出ていない彼は、最早怒りが上限を突破しているのではなかろうか。
 大丈夫。とか言っといて、髪切られてるんだから当然だよなあ……。
「えーと、怒ってらっしゃいます……?」
 恐る恐る訊ねると、セレストは目線だけを向けて来た。普段は温かみのある灰色の瞳が、今は酷く冷たい。これは危険だ。
「怒っているように見えるのか?」
 彼は無表情のまま言葉を発した。声にも温度はなかった。
 とても怒っているように見えます。と口に出してはいえなかった。彼を刺激するのが怖いのだ。
 黙り込んだ僕を見遣り、セレストは怪訝な面持ちで首をかしげる。
「うーん、そう見えるのか? 怒っちゃいないよ。いや、怒ってるのかもしれないが」
 どっちなのよ。
「怒っているというなら、お前の迂闊さに対してだよ。わかってないようだが、お前今後大変になるぞ。ロベルティカ・カナン(うちのトップ)がずっと髪切り魔事件の話をしてて、最後にこう言うんだよ。『術者の意識まで刈り取るほどの手段とは、一体どんな技なんだろうね。ふふふ、金の匂いがする……』って、すっげえ意味深に俺のほうを見ながら!」
「げ」
 ズィルバー師がその辺興味なさそうで、特に聞いてこなかったから全然気にしていなかったが、まさか気にする者がいたとは。しかもそれがロベルティカ・カナンとは最悪だあ。
 ロベルティカ・カナンは、【紫の理の会】の首領である。異名は【守銭奴】。その名の通りお金をケチり、更には金になる話はしがみついて離さない。普段は魔族標準的な物静かな人なのに、金の話になると急に残念になる壮年(おっさん)だ。
 本来の異名は【紫の魔術師】なのに、そう呼ぶ者は本人含め誰もいない。
 自分でも【守銭奴】を名乗る所に僕は首領の風格を感じる。
 基本的には大らかな人なんだよ、金さえ絡まなければな。そんな人だから超ゆるゆるな【会】が成り立っているのだ。そのしわ寄せが全部ズィルバー師に行ってる気がしないでもないけど。
「なあ、フローリア」
 頭の中が脱線した僕の名を、セレストは呼んだ。声には力がある。魔術師の言葉だ。ぴりっとした雰囲気に、反射的に僕の背筋が伸びる。
「お前、”アレイス・クレスタの秘薬”使ったろ」
「はい、使いましたとも!」
 秘薬とは、犯人達の意識を奪ったあの薬のことである。二十七種あり、そのほとんどが犯罪向きな効果でその威力は反則級だ。あの時使ったものは、肉体ではなく霊的な方向から衝撃を与え、相手の意識を落とすという危険物質であった。
「アレを商売に使うと、師匠が怒る。これもわかってるよな?」
「当然ですとも!」
 怒るどころか破門されるだろう。そして製法の秘匿のためにこっそりと葬り去られることは想像に難くない。僕ら”アレイス・クレスタ”の名を襲名する薬師が、成人前の一時期を除き山奥で暮らす理由の一つは、秘薬の製法を秘匿し、金銭で流通させないためなのだ。
「じゃあ、今の状況がまずいことは、わかるよな?」
 【守銭奴】に目をつけられたということは、つまりは僕の生命の危機に繋がる。押し切られ彼の金儲けに協力した日が、僕の最期の日だ。
「はい。わかり、ます、とも……」
 具体的に順を追って詰られて、ようやく最悪どころの事態ではないことに思い至った。
 急速に危機感がわいてきて全身の皮膚が粟立つ。そんな僕から、セレストは視線を外さない。
「お前、今まではなんでもかんでも腕力で解決しできたから、いざ秘薬を使う際の問題とか、あんまり考えてなかったんだよな?」
 その通りなので頷いた。使用に際しての躊躇いは、毒薬使いじゃないからあまり使いたくない。という一点のみに絞られていたのがその証拠である。
 大体、秘薬をほしがる人間など過去にセレストしか見たことが無かったので、あまりぴんと来なかった。そういう事態に直面したことが無かったので、自分たちがそれを秘匿しているということを、理屈では理解していたが実感は全くしていなかったのである。
 そんな僕のお気楽さをセレストは危惧している。ということが今は痛いほどわかる。
「身を守る為ならいくらでも使っていいよって俺は思うけどね。使用を禁じられてもないし。でも、足はつかないようにしろよ……。身を守るために新たな危機を呼んでちゃ、本末転倒だろ……」
 語りかけてくるセレストの表情は、心配一色に染まっている。
「……うん」
 素直に頷くと、ようやくセレストの目に温度が戻った。
「よしよし、頑張って誤魔化せよ。あ、それとな、これから暑くなる季節だし、涼しそうでいいんじゃないか?」
 笑いながら告げられた言葉が、僕の髪のことを言っているのだと気づいたのは一瞬後のことだった。
 彼らしい物言いに、思わず失笑してしまう。
「斬新な慰め方ありがとう」
「慰めているわけじゃなくて、素直な感想だぞ。……俺も暑いから切りたい」
 セレストは本当にかったるそうに、自分の髪先を弄っている。
「それは勿体無いからやめろ」
 その魔力の塊を捨てると言うのか!
 くそう、魔術の才能がある連中は、その貴重さがわからんのだ。くやしいのう……。
 僕は心中で地団太を踏んだ。
 僕の気持ちなどわからんセレストは、怒りを隠せぬ僕に、軽く首をかしげている。
 しばらくその状態で睨みあっていたが、というより睨んでいるのは僕だけなので見詰め合っていると言うべきかもしれんが、目を先に逸らしたのはセレストのほうだ。
 眼力勝負がついたわけではない。単純に何かを思い出したといった様子で、セレストの視線が少し宙を彷徨ったのだ。
 そして彼は口を開いた。
「そうそう、事件の功労者に【赤の魔術師】からの伝言が三つあるんだ。まず一つ目、『報酬は全額出るよ』だと。よかったなー」
「おお、やったー」
 セレスト茶で祝杯をあげねば。
 嬉しかったので、セレストがズィルバー師の口真似をしたこと、そしてそれが大層似ていなかったことには触れないことにした。
「二つ目は?」
「精査してみたところ、実行犯は意思まで完全に操られていた。呪術の痕跡を完全除去した後、監視付で釈放する」
「それは、妥当だろうな」
 実行犯のいかつい男。彼はむしろ、被害者だ。
 操られて変態行為をさせられた上に、僕に八つ当たりでぶん殴られたのだ。正に悲劇の男である。
「んで、最後の三つ目な。サミ・ロイヴァスさんの証言と、隠し部屋などから出た証拠から、真犯人の殺人容疑もほぼ固まる方向だ」
「おお、よかったー」
 聴いた瞬間、僕の体から力が抜けた。
 よかったよかった。殺人については無罪。なんてことになってしまったら、早々に再襲撃される所だった。何よりも殺された女性が浮かばれない。
「安心しているところ水を差すようで悪いが、殺人で再犯の意欲満々とはいえ永遠に刑期が続くわけでもないんだ。気をつけろよ」
「ああ、うん、そうだな。……まあ、奴が出てくる前に、僕は山に帰ってるだろうけど」
「そうだ、な……?」
 同意するように頷きかけたセレストが、その動作を止め眉根を寄せた。
「いや、あの調子なら、山まで追ってくるかもしれないぞ……」
 セレストが呟いた内容に僕は絶句した。
 本当に、ありそうで、怖いです。
 喜びが、一瞬で消滅した。
 安堵とは違うかたちでへなへなと力が抜けていく。すっかり萎びた僕に、セレストが慌てて言葉をかけてくる。
「事件について、他に聞きたいことはあるか? 俺にわかる範囲なら教えられるけど」
 ……中々強引な話題逸らしだな。しかし、ありがたいので飛びつこう。
 気になっていることがあったのだ。
「うん、それじゃあ、なんで事件が西と南に偏ってたのか、学生ばっか狙われたのか知りたい」
 囮捜査員じゃ知りようの無い部分である。
 【紫の理の会】の支配領域ばかりが狙われている。この事件はもしや、【会】に対する宣戦布告なのだろうか、と当初頭を掠めたのだ。
 呪術師に会って、それは無いと確信したものの、それならそれで、どう説明をつければいいかわからなくなった。
「ああ、それなあ。被害が西と南に集中してたのは、北と東――要するに【盟友】の縄張りを探しても、金髪の人間がカロライン・レヴィしかいなかったからみたいだ。あそこ、構成員をほぼ魔族で固めてるから、黒髪以外は滅多に見当たらないもんなあ……」
「…………」
 犯人にとっちゃ切実だったろうが、僕にとってはどうでもいい話でした。
 謎が解けてもこんなに嬉しくないなんてことが他にあるだろうか。いや、無い。
 がっかりする僕に、セレストはもう一つの解答をよこす。
「学生ばかり狙ってた理由は、奴の根源に関わる変態的な理由だよ。知らない方がいいだろうな」
「それ、ほぼ答えじゃないかい……?」
 僕は怖気を振るった。
 思いつきでそれを聞いたことを、酷く後悔したが、後の祭りである。



 こんな感じで髪切り魔事件は終わった。
 たいしたことのない事件ではあったが、髪ごと魔力を失うわ、変質者に目をつけられるわ、【守銭奴】に興味をもたれるわ、僕の被害はまことに甚大であった。
 報酬はがっぽり入ったが、できれば、しばらくの間は、ズィルバー師の持ち込む事件は担当したくないな……。