第一話【たいしたことのない事件】007
男を担ぎ到着した【紫の理の会】本部では、なぜかズィルバー師が出迎えてくれた。
「おや、おかえり。アレイス・F・クレスタ君」
飛び込んできた僕を見て、不思議な顔をするズィルバー師だが、その表情を浮かべたいのはこちらの方である。
「え、セリンの森は?」
「もう片付けたよ」
まじすか!?
さすが派閥のナンバー二。仕事の速さも超一流である。
まあ、それは今はいいのだ。
僕は担いでいた男を床に放り出した。
「例の事件、こいつが実行犯です。でも、真犯人は憑依系の呪術師なので、呪術封じの結界をお願いします」
慌てすぎて大雑把な説明になってしまった。状況が伝わったとは思えんが、ズィルバー師は直ぐに動いてくれた。
本部の奥から呪術対策が得意な連中を呼び出し、指示してくれる。
いきなりのことなのに嫌な顔一つせずに、むしろ嬉々としてズィルバー師に従う人々を見て、やっぱこの人ナンバー二なんだなーと実感する。
呪術封じの結界が発動するまでの間に、僕は今度こそ詳細な状況をズィルバー師に伝えた。
実行犯はこの男だが、真犯人はこいつに取り憑いていた呪術師で、今は(多分)男と一まとめに気絶させた。
そこまで伝えると、ズィルバー師は少し難しい表情を浮かべ、結界に取り掛かっていた魔術師の一人呼び寄せ指示を送る。魔術師は実行犯の男を見て何事か呟いた後、別の魔術師を一人伴い直ぐに本部から出て行った。
程なくして、結界は完成した。
別に光や色が出るわけではないので、見た目には結界の存在などわからないのだが、魔術探知機体質でなくても、そこに魔術があることがはっきりと感じられる。
「……起こしますね」
「よろしく」
僕は、腰帯に差していた霊樹の枝を引っこ抜き、男を突付いた。結界が魔を含むもの(人体含む)を阻むから近づけないのだ。その点、聖と霊の属性を持つ霊樹の枝は素通りである。
薬は既に切れかけていたので、男は直ぐに目を覚ました。
頭を振りながら起き上がった男が、その目に僕達の姿をとらえた。その瞬間、奴の顔に怯えが走る。
男は床を這い逃げようとするが、ある一線を越えることが出来ない。結界の不可視の壁に縋りつき、恐怖の声を上げている。
痛々しいその姿に僕は眉根を寄せた。
「あー……これは外れですかねえ……」
呪術師の言葉を借りると”完全に憑依の術が解けた”状態だわ、これ。
不安な僕とは違い、ズィルバー師は動揺一つ見せない。
「そうでもないよ。どんな手段を使ったのか知らないが、君は確実に術者の意識も刈り取っていた。この男と繋がった、呪の糸を回収する間もなくね」
ズィルバー師は何かをすっと指し示すが、僕には何も見えない。
そこに、呪の糸があるのだろうか。
「つまりそれは……」
「君も知るように、呪術の最大の欠点は全ての術において対象との間に呪の糸を渡し、繋がりを作らなければ行使できないことだ。糸を回収する時間を真犯人に与えなかった、君の勝ちだよ。アレイス・F・クレスタ君。うちの魔術師が糸を辿って真犯人の捕縛に向かった。直に連行されてくるだろう」
ああ、先ほど指示を与えてた魔術師か。そういう理由で出て行ったのか。
「結界に封じるのも良い判断だったよ。犯人の呪は結界に絡め取られている。うちの者がたどり着く前に目覚めていても、最早どうにも出来まい」
ズィルバー師は悪い笑みを浮かべる。
すんごい悪人顔である。
にしてもなあ。やっぱり僕の考えは大はずれであった。犯人、意識落ちたら体に戻ってたじゃねえか。結果的には上手くいってたけど、落ち込むわー……。
うなだれる僕の肩を、ズィルバー師がぽんぽんと叩いた。
「行動的には君が取れる最善の行動をしてたんだよ。……意図は的外れであっても」
うおお、全然慰めになってねえ。ぐっさり来た。
怯える実行犯はろくに言葉を喋れる状態ではない。
呪術師を待つ間、僕とズィルバー師はぽつぽつと雑談をしていた。
「しっかし、ズィルバー師めちゃくちゃ仕事速かったですねえ」
「それくらい出来ないと、【会】ではやっていけないんだよ……」
徒歩で三日かかる距離を魔術で移動したと語る彼は、流石に少しだけ疲れた色を見せていた。あれ、高等魔術だもんなあ。
「そういう君も、随分早かったね」
「あー、それは、僕の解決能力というより、犯人の金髪レーダーが優れていたというか」
確かに捕縛はものすごく早かった。だが、僕がやったことといえば、【会】に所属している被害者への聞き込み。あとは被害時刻にあわせて『近道』をうろついていただけだ。
速さの理由は呪術師にある。僕の髪の存在を察知した速さといったら、正に神速といっても過言ではあるまい。
「へえ。それは、随分、優秀な変態、なんだね」
ズィルバー師は言葉を短く区切りながら、男を一瞥した。冷たい目だ。
おそらく、男を通して真犯人を見ている。多分、ズィルバー師には呪術の糸が見えてるから。
彼は小さくため息をつき、僕に視線を移した。
「それにしても、君も、被害者の仲間入りか」
「はい、被害者に名を連ねちゃいましたよー……」
僕ががっくりとぼやくと、ズィルバー師は哀れみに満ちた表情を浮かべた。彼の左手が自分の首の辺りを彷徨う。要するに今の僕の髪と同じくらいの高さだ。
「……ざっくり切られてしまったね」
「切られましたよ。あっと思ったときには手遅れで、一撃で、すっぱりと」
正に変態的な達人技であった。髪は回収したが、くっつくわけが無い。正直髪自体はどうでもいいのだが、目減りした魔力をどうしてくれる。思い出したらムカムカする。
「この野郎! 人のなけなしの魔力を返しやがれ」
思わず怒鳴ると男がおびえた。
「こらこら、尋問は専門の者がするからね」
口では止められたが、どうでもよさそうな様子を隠してらっしゃいませんね。
ズィルバー師は、今度はしっかりと男を観察する。その眉根が寄せられた。
「なんだか打撃を食らったような痕があるんだが……」
あー、そこに引っかかるとは目ざといですねえ。
基本的に僕は、打撃は専門外である。ズィルバー師はそれを良く知っているので、犯人の状態に疑問を抱いたのだろう。
男の顔には、サミさんがぶん殴った痕が二つある。
霊樹の枝は軽すぎて、こんな”殴りました”って痕跡は残らない。大体、あれは
「たまたま助けてくれた人が格闘術の使い手で、僕を踏んづけてたこいつを、ボコーっと殴ってくれたんですよ。かっこよかった! 男性版アリーゼ師って感じでした」
アリーゼ師のほうが色々強烈だが、変態滅殺の叫びはとても似通っていた。アリーゼ師の名前にズィルバー師の顔が引きつる。
「かっこよかった、か……。君、格闘技大好きだねえ。アリゼ君に似てるとは、あまり詳しくは聞きたくない気分だけど、その人に説明と謝礼をしなきゃいけないし、後で聞かせてもらうよ……」
◆
連行されてきた真犯人は、実行犯より少し若く見える男だった。
線が細く顔色が悪い。フードを被った姿は、正に絵に描いたような呪術師である。
本部に入れられた呪術師は、周囲を見回し僕に気づいた。
外側が全くの別人なのに、僕の髪を見る視線が実行犯に憑いていた時と同じで、不気味だ。
捕縛されたというのに、男は嬉しそうに微笑んだ。
「自分の目で見ると、いっそうその髪は美しく感じるね。やっぱりその首、ほしかったなあ……」
「…………」
一発殴ってやりたくなったが、こんな奴に近づきたくないという気持ちの方が上回った。
ズィルバー師も呪術師の言動に顔を顰めている。
いや、彼だけじゃないな。他の魔術師達も全員微妙な表情だ。
敵対する魔術師達に囲まれても、呪術師は余裕の態度を崩さない。
笑顔で僕に語りかけてくる。
「髪切りはそんな重犯罪じゃない。直ぐに釈放されることになる。そのときは君に会いに行くから、それまでにまた髪を伸ばして置いてくれ」
何その再会宣言。完全にターゲッティングされたってか。嬉しくねえ!
というか、この男、一つ忘れてませんかね。
「……髪切りだけじゃないだろ。あんた、川原で会った女を殺したって言ってただろ」
「そうだったかな」
すっとぼけてやがる。でもなあ、あの自供はサミさんも聞いてるんだよ。魔王の証言は、たとえあんな状況で吐かれた言葉に対するものであっても、ある程度の証拠能力があるのだな、これが。名やら存在を縛られている故にどうこうとか理由は色々あるらしいが。
あんた、サミさんが魔王って知らないからそんなに余裕なんだろうけど。
男と睨みあっていると、いや、男の目線は髪に向いているが――ズィルバー師が急に僕の手を引いた。
「……尋問は【会】の人間でやるから、君はそこの部屋で報告の続きをしよう」
「え、なんで?」
呪術師の供述、僕も聞きたいんだけど。
訴えたが、僕も問答無用で連行されてしまった。なんでだよ。
『そこの部屋』で、男の殺人供述や、サミさんの助け舟、僕の細かい行動など、改めてズィルバー師に報告した。ちなみに、サミさんの格闘術がフェルタ流であったことは言ってない。事件には関係ないし、万が一格闘技ファンが殺到すると、彼のあの性格じゃあ辛いだろうし。
全部聞き終えたズィルバー師はなんとも微妙な表情である。
「ご苦労だったね。大体のことは聞いたから、今日はこのまま帰って休むといいよ。髪も整えなきゃいけないだろうし、何かあればこちらから聞きにいくから」
「いやいや、これから薬師組合に納品に行く予定ですし、そのまま【星見】に直行なんですけど」
今後の予定を述べると、ズィルバー師は眉根を寄せた。
「……組合の方には圧力掛けとくし、そんな状態をみたら【星見の語り手】が泣くよ。こっちから連絡しとくから今日はやめておいたほうがいい」
確かに。このざんばら髪を見て、あの優しい老魔術師が嘆く姿が容易に想像できて困る。
だが、それよりもっと困るのがズィルバー師の言動だ。
「なんだか妙に優しくないですか……?」
ついオブラートを紛失してしまった発言だが、彼は怒らなかった。
「正直言うと反省している。こんな仕事、女の子にやらせるんじゃなかったなーと……」
髪がとても悲惨なことになってしまったし、まさか犯人があんなに強烈な変質者だったとは……。とモゴモゴと呟くズィルバー師は大層後ろめたそうな様子である。
それは意外であったし、心外でもあった。
「髪のことは確かに気持ち悪かったし、魔力返せくたばれ変態野郎というのが本音ですけど、外見的には本当どうでもいいっすよ? 原因は僕がしくじったことですし、反省するのはこっちの方ですよ」
人によっちゃ己の髪型を気にするのかもしれないし、実際にスーパーナンパ男であるユークリッド・ウェインは気にしていたが、僕はマジどうでもいい。むしろ、失敗してしまったのだから、反省すべきなのは僕である。
「君は気にしなくてもね」
「あー……、セレストは気にしますね。雄叫びを上げますね。間違いない」
スーパーおにいちゃんセレスト・クレイン。彼は僕の髪型が変わることは気にしないだろうが、”切られた”事実は絶対に気にする。
それこそ思春期の病気的能力に目覚めそうな予感がしてしまう。ドッキドキ、断髪式は死の香り。的な。何を言ってるのか自分でもわからないが。
奇妙なことを考えている僕を、現実に引き戻したのはズィルバー師の言葉だった。
「彼のことは関係無しに、私も気にしているよ?」
僕はいよいよもって自分の耳を疑った。
「……セリンの森で、変なもんでも食べましたか?」
いや、マジでよ。おかしい、今日のズィルバー師超おかしい。
割と気にかけてくれてるのは確かだが、こういう方向性じゃなかったはずだ。
本物のズィルバー師はまだ森で仕事してて、これ、魔術で見た目をごまかした別人じゃないかな。
そう思ってズィルバー師もどきの顔面をはたいてみたが、魔術がかかっているわけでもなさそうだった。
「本物か? なら、やっぱ変なもんでも食ったんじゃなかろうか。毒植物がセリンの森で群生しているっていうし。……森で、拳大で、黒と白のまだらの木の実とか食べました? もしそうなら、沢山水飲んだ方がいいですよ」
症状と合致する錯乱効果のある植物の特徴をあげると、ズィルバー師っぽい人は疲れた顔で首を振った。
結局、ズィルバー師の言葉に従い、その日は帰宅した。
真っ先にしたことは、髪を整えることである。
本当は先にサミさんに事情説明に行きたかったが、それは【会】の方からしておくと言われ断念した。きっと余計なことを喋ると思われているに違いない。今晩中にコンタクト取るそうだから、明日朝一で御礼に行こう。
さて、散髪であるが、これが意外に難しかった。魔力的な理由であまり短くしたくなかったが、そこそこ見れる髪形になったときは、短髪といっても差し支えの無いくらいの長さになっていた。
改めて鏡を見て、髪型一つでこんなにも雰囲気が変わるものかと驚いた。チャラ男ことユークリッド・ウェインが己の髪にこだわってた理由がちょっとだけ理解出来た気がする。
鏡に映る惨状に、僕は顔を顰めた。
「……こりゃないわ」
似合っていないわけではない、むしろ長髪より遥かに似合ってる。
何処か野暮ったかった部分が抜けて、田舎者を脱却したような気がしないでもない。
けどこりゃ酷い。幼い記憶に残っている、若い頃の師匠にそっくりじゃないか。髪が長かった頃は全く気づかなかった現実である。
師匠に似ているのが嫌なわけでは決してない。
「母さんの面影は一体何処に……」
母親に全く似ていないのが、それなりに衝撃だったわけである。
顔見たことが無いから、母さんの容姿などさっぱりわからないが、師匠の生き写し状態である以上、彼女の面影が全く表面に出てないのは確実である。
この事実に、ただでさえ希薄な存在のその人が、更に薄くなってしまったような気がした。
落ち込んだ僕は、さっさと風呂に入って不貞寝した。