第一話【たいしたことのない事件】006
変態は気配消しと髪切りに関しては達人だったが、それ以外はただの素人だった。対してサミさんは格闘術の使い手、つまりは戦闘の専門家。勝負は最初からついている。
サミさんのパンチを食らった男は、あっさりと地に沈んだ。
介入する余地もなく、僕はその様子を眺めているしかなかった。
意識を失った変態を、持っていた紐で拘束した。
そもそも、捕縛するためにうろついていたので、この辺の準備は万端である。
髪切り魔は意識を失って尚、僕の髪を握り締めている。その変態的な執念にはある意味崇高な意思すら感じられ……ねえよ。
突如現れたサミさんの手によって髪切り魔は倒された。だが、事件が解決したと言っていいのかどうか。
気配消しの達人がここまで弱いのはおかしくないか、という例の違和感は、未だ僕の中で燻っているのだ。
まあ、目に見える脅威が取り除かれたのは確かである。全身から力を抜いた僕は自分の髪に触れてみた。長さは、肩よりちょっと上あたりか。
なんて確認したものの、外見的な長さはどうでもよかった。
それよりもっとえげつない問題が起こっていることに気づいてしまったからだ。
ずっと、髪を切られる気持ち悪さだけを問題視してきた僕であったが、それさえもどうでもよかったと思える現実。そう、結構な分量の魔力が、切られた髪とともに消失していたのだ。
魔術は得意でなく、魔力量も人間の標準並しかない僕に、この事態は非常に厳しい。
心をよぎったのは、純粋な怒りだ。
髪返せ! てか、髪に収めてた魔力返せ! ちくしょー! 返せ!
「変態滅殺!」
サミさんの真似をして叫んだ僕は、拾った霊樹の枝で変態の頭を殴りつけた。
八つ当たりである。
◆
「とんでもない変態でしたね」
「でしたねえ……。ところで、サミさんは何故ここに?」
「店の前で別れた直後、貴方をその男が見てるのに気づきました。嫌な感じだったので、貴方を追いかけました。追いついてみたら……」
サミさんの立場に立って想像してみる。
……隣人が髪を切られているわ、踏みつけられてるわ、そりゃとんでもない光景だっただろう。
僕は頭を下げた。
「助けてくださって、ありがとうございました」
「いえ。本当は私が介入しなくても、貴方のお力で十分対処されていたと思いますよ。あの時、離脱しようとしてたでしょう? 余計なお節介をしてしまいました」
「助けていただいたことを、余計だと思うことなんて有り得ません」
セレストの無条件発動型過保護と違い、本当にヤバいと思ったからこその助け舟だろう。それを余計だと思うほど僕は傲慢ではなかった。
申し訳なさげだったサミさんの表情が少し和らぐ。そのままサミさんは変態を見やる。
「ところであの、クレスタさん、この変態は一体……?」
ああ、疑問に思って当然だよなあ。
しかし、部外者のサミさんに何処まで語ってよいものやら。
「仕事で追ってた男です」
うむ、嘘はついてない。あまり説明にはなっていないけど。
「お仕事ですか……」
今度胡乱な目を向けられたのは僕の方だった。
そうだな、僕みたいなのが変質者を追っているとは、一体どんな仕事なんだよ。と思われても仕方あるまい。
どう誤魔化すかと悩んでいると、背後からうめき声が上がる。
振り向くと、髪切り魔が目を覚ましていた。
男は、自分の状況がわからないとでも言うかのように、周囲を忙しなく見回している。
とりあえず、男の意識を向けさせるため、僕は二回手を叩いた。
「やあ、おはよう髪切り魔さん。そろそろ、僕の髪を返してくれないか。あんたが握り締めてるそれのことなんだけど」
男はぐるぐる巻きになった自分の手を見、ぎょっとした表情で中身を放りだした。
金色の束が、ぽーんと飛んでいき、ふんわりと着地する。
おいコラまてよ。人の髪を投げてるんじゃねえ……。
拾ってくれたのはサミさんだ。僕に髪を渡しながら、彼は首をかしげる。
「なんだかこの人、先ほどまでの変態的オーラがすっかり消えてますね」
「確かに……」
サミさんのいうように、意識を取り戻した髪切り魔から、変態的オーラがすっかり消失している気がする。髪を返したときの様子も、非常に素直なものだった。まあ、素直に”投げられた”んだけどな。この野郎。
あの、僕の髪を見たときのねっとりとした情念はどこにいった。気絶するまで髪を掴み続けた執念はどこにいった。戻ってきても困るけど。
じっと観察すると、男は怯えたように後退る。
「……おかしいなあ」
襲い掛かってきた時はもっとアグレッシブかつ変態的だったではないか。弱体化はするわ、ヘタレ化はするわ、この髪切り魔、本当にどうしてしまったんだろう。
まるで憑き物が落ちたかのような感じだ。
……ん?
「憑き物……が、抜け落ちた? あるいは今、逆に何かが憑いているのか?」
「どうかなさいましたか?」
「いえ、どうも引っかかるもので……。この男が達人だったのか、素人だったのか」
「戦闘の、ですか? 私は素人だと思いましたけど……」
うん。サミさんから見るとそうだったろう。
しかしである。少なくとも僕は、男が現れた時、髪を見られた時、そして髪を切り落とされた時の腕前と手際。ここまでは男が本物の変質者であり、その実力が達人級であることを疑うことは無かった。
だが、その直後の、押さえ込みの素人感、逃げる動きの稚拙さ、そして現在のただただ怯える様子に関しては、僕も全くの素人だと感じている。
はっきりと、前者と後者の間に境界がある。境界の向こうとこちら側で、男の動きの鋭さが乖離している。サミさんが見たのは境界の片側だけだ。
「多重人格なのか、薬物でもやってるのか、あるいは魔術か何かで操られてでもいたのか」
どれもありそうで困る。
「最後のが一番正解に近いな」
「え?」
サミさんのものとは違う男の声が上がり、僕は目を瞬く。
「最初に言った『憑き物が抜け落ちた』が完全な正解だ」
喋りだしたのは、目の前の男だった。
ただ、その様子が先ほどまでと全く違う。
その佇まいに落ち着きが戻り、隙が失せた。短くなった僕の髪に向けられた視線は、最初に向けられたものと全くの同質だ。再び僕の背に悪寒が走る。
男が身をよじると、どんな技なのか縛っていた紐が解けた。
が、それに反応することは出来なかった。異常な緊張感が場を占めていたからだ。
サミさんも男の様子が変わった事に気づき、その雰囲気におされている。
僕は喉から声を絞り出すようにして問いかけた。
「つまり、あんたがこの男に憑いている真犯人だと?」
「そのとおり」
これはどう受け止めるべきか。いきなり現れてペラペラ喋りだす真犯人とか超胡散臭いではないか。真相を煙に巻くのが主目的ではなかろうか。ならばこちらも煙に巻いてやろうではないか。
「よし、多重人格説に一票」
「何故そうなる」
男の表情が愕然としたものになった。サミさんも変な顔で僕を見る。
「いやだってさあ、取り憑いているなら、なんで最後まで取り憑き続けなかったのよ。いきなり動きが素人になってたじゃないか。完全に逃げてから抜け落ちればよかったじゃないか。それはとても不自然じゃないか。なので、多重人格がうっかり入れ替わったって言われた方が納得できるんだよ。超変態の達人、そこそこ変態の素人、ただのヘタレの三重人格なんだろ? 今もまた、何かのきっかけで最初の人格に戻ったんだろ? それになりより事件当時、魔術探知機が魔術に反応していなかった」
僕の嘲り混じりの長ったらしい物言いに、男は眉根を寄せる。
「魔術探知機なるものが存在するのがそもそも眉唾だが、使ったのは魔術じゃなくて呪術だ。そんなものに引っかかるわけなかろう。それに、切った瞬間の満足感で、術が弱まるんだ。回収本能がかろうじて残ってくれるのが救いだな。今回は気絶した後、憑依術が完全に解けてしまったから、掛け直す羽目になってしまったがね」
切った瞬間の満足感、の部分で男が一瞬だけうっとりと笑う。
そうかそうか、髪を切ると満たされちゃうのか……。嫌な性質だなあ。
恐ろしく説明臭い、男の話を何処まで信じていいのかわからんが、髪について話すときの目は本気だ。
にしても呪術師か。予想通りじゃないか。まさか、変態の方も兼ねているとはおもわなかったが。
「ベラベラ喋ってくれるのは、この男から抜ければ自分は逃げおおせる。捕まるはずがないって自信の表れ?」
返答はなかった。ただ、男の笑みが深くなる。
そのとおり、って表情だなあ。別に煙に巻いてきたわけではなかった。超絶自信過剰くんだったという真相である。
やたらと詳しく説明してくれるのは、多分、己の力をひけらかさずにいられない性癖なのだろう。
男は終始一貫して僕の髪に向けたままの目を細めた。
「君の髪色はとてもよいね。そのまま逃げてもよかったが、思わず回収に戻ってしまう程だ。頭ごと切り落として持って帰りたかった」
「…………!」
そんな言葉は聴きたくなかった! 不気味すぎるだろ、勘弁してくれ。
全身が粟立った。隣のサミさんも、酷い表情になってるわ。
今は森に居るであろうズィルバー師へ。下手したら僕、死人一号になってたかもしれません。
しかし困ったな。他人の中にいる男。そんなものをどうやって捕らえればいいのやら。
自信過剰と評価したものの、自信満々になるのも頷ける厄介さである。
素直に物理で殴っても、男の中から逃げられて終わりだろうし、魔術? 僕の魔術など爪の垢ほどの役にも立たんわ。
得物である霊樹の枝は聖性を帯びたご大層な代物ではあるが、断言しよう。物理以外の秘めたる効果は全くない。
役に立たないという評価はやめて欲しい。あれはあれで、どんな破壊力の魔術を受けようが、どんな鈍器の一打を受けようが絶対に折れないという反則武器なのだ。ものすごく硬いものの、酷く軽くもあるのであまり攻撃力の足しにはならんがな!
そんなことを脳内で喚きながら、僕は必死に考えた。
対象を細かく操れるということは、呪術だろうが魔術だろうが、術師の精神が直接傀儡に接触しているということだ。その接点を狙い、物理的な一撃ではなく、精神に直接作用する一撃を食らわせてやれば、ガワごと中身も倒れてくれるのではないだろうか。
そういう手段は持っている。
男の意識が落ちた瞬間術が解け、真犯人が己の体に戻るならこの方法は大失敗だが、どの道他に手段が思い浮かばないのだ、ダメでもともと、やってみようではないか。
それに、僕の仕事は『髪切り魔』の捕縛なのだ。髪切り魔を操っていた呪術師の捕縛ではない。中身などいらぬ。ガワさえ持ち帰れば任務完了だ。
いや、そんな甘いわけないよ。って本当はわかってますよ……。
視線は犯人から外さず手を握ると、金属の感触がした。先の立ち回りでも外れていないことにほっとする。
「あんたさあ……なんでそんなに髪が大好きになっちゃったわけ?」
問いかけはデコイである。
男はあっさりと食いついた。
「聞きたいのかい……? ふふ、そう、あれは満月の夜だった。あの静かな川原で彼女に出会った。彼女の髪はまるで月の光を映し、光を放っているかのようで……」
ねっとりとした口調で、熱に浮かされたように語りだす男。
おおう、これは凄い。偏執狂は大好きなものを語らせれば止まらなくなる。と確信して話を振ったのだが、この食いつきっぷりは予想以上だ。
何故確信してたのかって? 僕も偏執的な要素を持っているから、行動の方向性は理解できるのである。例えば、状況も忘れて格闘術の解説を始めたり、そんな感じのな。
身振り手振りを加え情熱的に語る男は、思い出の女に気を取られて、視線が僕の髪から外れていた。
その隙に、僕はこっそりと出掛けに用意した例の指輪を一つ抜き取り、切り取られた髪の中に編みこんでいく。
それには気づかず熱たっぷりに語り続けた男は、最後にこう締めくくった。
「そして、彼女の髪がどうしても欲しくなった私は、彼女の首を刈り取った」
……殺人の供述までありがとう。聞きたくなかったわ。
男は再び僕の頭部に視線を戻した。
「君の髪は、彼女の髪に似ている。魔族は夜の精霊の愛し子というが、その月のような輝きのほうがはるかに夜の名に相応しいのではないか、私は常々……」
う、終わったと思ったのに男の語りがとまらない。
髪にかける狂愛を語られても、僕にはそれを楽しく聞ける度量は無い。
そういうのは派閥のナンバー二の領域である。いや、さすがにコレは嫌がりそうだけど。
これ以上聞くと精神衛生上よろしくない。男の話を止めるべく、僕は動いた。
「そんなに大好きなら、これは進呈しよう」
隠すように編みこんだ指輪を指先でぶっ潰し、僕は切られた髪を男に投げ渡した。
髪を視線で追う男の顔に喜色が満ちる。
それはもう、満たされた表情であった。
男は髪を手に取った瞬間、笑顔のまま地に崩れた。意識は一瞬でとんだだろう。
髪に仕込んだ指輪、石に偽装した容器の中に含ませていた薬物の効果である。直接精神に作用するとんでもない劇物だ。
毒薬使いではないし、この手の薬は作りたくないし、使いたくも無いのだが、他に方法が無いのなら仕方ない。
……あれ、ユークリッド・ウェインが言ってた噂の『薬殺系』って、事実無根だって言っちゃったけど、もしかして事実だったのかしら。
◆
男の意識が完全に無いことを確かめるなり、
「ふぬ!」
魔術道具で筋力をドーピングした僕は、男の体を一息に担ぎ上げた。
薬の素材に狩る魔獣のほうがはるかに重い。余裕である。
サミさんがなんともいえない表情で僕を見ている。
痛い。その視線は痛いぞ。まさか、僕はまともなご近所さんを早くも失ったのか。僕自身がまともではないことを露呈するという形で!
しかし、絶望するのは後で良い。
「先ほどはありがとうございました。こいつが意識を戻す前に早急に対処が必要なんで今はこのまま去りますが、後日お礼と事情説明にうかがいますんで」
言うなり僕は駆け出した。あの薬品の持続時間はそんなに長くない。ドーピングの魔術道具もな。早く【会】に連れ込んで、呪術封じの結界に叩き込まねば。僕? 僕は当然そんなもの使えないよ。