星灯たちの諧謔曲

第一話【たいしたことのない事件】005

 さて、と。文具店から出た僕は、これからどうするか考える。
 ユークリッド・ウェインが被害にあった時間帯に、現場をうろうろするのは決定事項だ。
 その時刻まで少々余裕があるが、他の被害者に話を聞きに行くには多少足りない感じなのが悩み所である。
 最も近場にいそうなのが、第二の被害者カロライン・レヴィなのだが、彼女、【紫の理の会】の対立派閥【十二真理の盟友】の人なんだよなあ。
 金以外には緩々の【会】とは違って、【盟友】に所属する連中は皆ガッチガチの魔術研究員である。最大派閥である【会】に対する対抗心も半端無い。そんな相手に僕がいきなり訊ねていって、話をまともにしてもらえるのか、微妙なところだ。
 まあ、駄目元で訊ねてみようかな。
 ガッチガチの魔術研究肌と予測される人なんだもの、魔術に大切な髪を切られて、その仇討ちのためなら【会】に魂を売ってくれるかもしれないし。

 そんな大雑把な理由で、僕は表通りを北に向かって歩いていた。
 北というのは、【十二真理の盟友】のテリトリーである。【会】の人間が行くと場合によっては絡まれるので正直あまり行きたくないんだが仕方ない。
 さっくり済ませようと足早にどんどん進んでいた僕は、ある地点に差し掛かった時点で立ち止まった。
 知っている人が青い顔でふらふらと彷徨っているのを見かけたからだ。あまりにも覚束ない足取りに、僕は心配になり声をかけた。
「魔王さん、どうなさいましたか?」
 声をかけた相手は、隣人――数日前に引っ越してきた内気系魔王である。
 魔王は険しい顔をしていたが、僕の顔を見てあからさまにほっとした様子になった。
「クレスタさんこんにちは。用事があって出てきたんですが、迷子になってしまった上に、あまりにも人が多くて……」
 つまり、人酔いというやつだろうか。血の気が引き、呼吸が浅い。結構重症に思える。
「随分具合が悪そうです。急ぎでないなら、少し休んだ方がいいです」
「そう、ですよね……」
 魔王はふらふらする頭で頷いた。
 返事を見るや否や、彼を道沿いの建物に押し込んだ。
 そこは、薬師組合が運営する簡易医療施設である。この界隈、学生同士の喧嘩や事故などが良く起こるので設営されたのだが、別に怪我に限らず病気でも診てもらえる。
 魔王に続き僕も扉をくぐると、受付のお姉さんが首をかしげた。
「あら、アレイスちゃんがこっちに来るのは珍しいわねえ」
 ですよねー。そう言われるのも無理は無い。僕は普段、薬師組合本部にしか顔を出さないからな。
 僕は魔王を待合室の長椅子に座らせると、お姉さん――エイミーさんに事情説明を始めた。
「知り合いがそこで具合悪くしてたんだよ。この人、同じアパートの魔族の人で、名前は、えーと……」
 ……あら。僕は魔王の名前を知らなかった。いやだって、表札には魔王としか書いてなかったし、名乗らなかったんだもん。
 多分きっと、僕が決して『フローリア』とは名乗らないように、彼にも『魔王』としか名乗らない何らかの事情があるのだろう。
 と納得しかけた僕の耳に、魔王のか細い声が届いた。
「サミ・ロイヴァスです」
 ……あっさり名乗ったよ。そんな事情はなかったようだ!
「はい、ロイヴァスさんですねー。お住まいはアレイスちゃんの近所、と」
 エイミーさんは受付票に記入していく。
「診察は受けていくのかな?」
「いえ、人酔いのようなので、楽な格好で少し休めば治ると思います」
「わかったわ。じゃあその辺りで休憩しててね」
 彼女が指差したのは、既に魔王が座っている待合室の長椅子である。
 要するに、他に患者もいないし椅子はくれてやる。無理に動くなと言いたい訳ね。了解した。
 あと、奥に通すと場所代がかかるからな。僕の事情をしってる彼女が懐具合を心配してくれたのもあるだろう。いい人だ。僕が男なら間違いなく惚れていた。

「すみません、すっかりご迷惑おかけしてしまって……」
「いえいえ、そんなことはありませんよ」
 あのまま放置する方が精神衛生上よろしくない。要するに自分のためにやっていることである。
 長椅子で横になる魔王に呼びかけようとして、少し困った。
「えーと、サミさん? ロイヴァスさん……それとも、魔王さんと呼んだほうがいいんでしょうか」
 結局、どの呼び方が彼の本意に適うのか、さっぱりわからなかったのである。
「サミで大丈夫です」
 ふむ、いきなり名前呼びしろとは意外に大胆である、内気系魔王サミ・ロイヴァス。もっとも、僕が距離無し野郎(女だけど)と認定され、諦められただけかもしれないが。
「んじゃあ、サミさん。こちらで勝手に断定しちゃいましたが、人酔いであってたんですよね?」
 違っていたら診察室直行コースなので一応聞く。
 サミさんは控えめに頷いた。いやいや、自分の体のことじゃないですか、もっと大胆に主張していいんですよ……。
 まあ、横になってから顔に血色が戻っているし、この処置で問題ないのだろう。
 回復しつつあるようなので、僕は手持ち無沙汰にサミさんに話しかけた。
「迷子になったって言ってましたけど、ずっと目的地に辿りつけてないんでしょうか」
「はい……」
「人に聞いちゃいけない事情などが無ければ、西地区内で僕が知ってる場所なら案内しますよ」
 サミさんを捕獲した時点で、カロライン・レヴィを訪ねるのは投げた。時間は余っているので道案内くらい余裕である。流石によその地区なら断ることになるだろうが。
 サミさんはしばらく悩んでいたが、結局僕の言葉に従うことにしたらしい。
「じゃあ、お願いしてもいいですか……?」
 恐る恐る渡された紙片には、とある魔術道具店の名前が書かれていた。
 行きつけの店でほっとする。ここからもそう遠くない。
「この店、看板上げてない上に、初めての人は何故か絶対にたどり着けないんですよねえ」
 僕にとって、今やなじみの店だが、やはり最初は全く辿りつけなかった。腹立たしい思い出である。

 サミさんの回復を待って、僕達は魔術道具店に向かった。
 表通り沿いにあるその店にようやくたどり着けたサミさんは目を丸くしていた。
「この辺り、何度も探したんですが……」
「初めての人は何故か絶対に見つけられないんですよねえ。二回目以降は簡単に見つかるのに」
「何らかの魔術がかかっているのかもしれないですね……」
 それはあり得る。魔術探知機ユークリッド・ウェインに聞けば答えは直ぐに出そうだ。が、あまり彼には会いたくないので、永遠の謎でいいや。
「それじゃあ、僕はそろそろこの辺で」
「はい、ありがとうございました」
 サミさんは深々と頭を下げてくれた。
 さて、ここからだと例の現場は目と鼻の先だ。ちょっと早いがもう行ってみるかね。被害者毎に犯行時刻に差があったし、ぴったりに行く必要もあるまいよ。



 サミさんと別れた僕は、霊樹の枝を手に、ユークリッド・ウェインが『近道』に使った路地に入り込んだ。
 薄暗く、人通りが無い。
 地面は首都の道によくある石畳。道幅は、大人が三人かろうじて横に並べるほど。脇には何かのガラクタが積まれ、物陰を作っている。
 正に、犯罪するにはもってこい、って雰囲気である。僕ならいくら近道でもこの道は使わんね。いらんことに巻き込まれそうな予感がぷんぷんする。
 少し歩を進めると、ユークリッド・ウェインが襲われた現場に到着した。幌を被った大きな木箱がこの場に大きな影を落としている。彼は、この影で殴り倒され、髪を切られた。
「うわあ……」
 その様子を想像してしまい、思わずぼやいた。背筋がぞくっとする。
 あまり長居はしたくないので、足を速めた。
 やがて『近道』の終わりが見えてくる。大通りの光にほっとした瞬間、僕は背後から腕を掴まれた。
「え」
 振り向いた目に映るのは知らない男。いかつい顔つきの、知らない若い男だった。
 僕の髪だけを見つめる男の、細められた目の奥で、気味の悪い情念が渦巻いている。金髪が好きな変態の目ではなかった。あれは、もっと何かよからぬものだ。全身が粟立った。
 男への嫌悪感が僕の思考を一瞬止めていた。
 我に返り、振り払おうとしたが遅かった。腕を引かれ、その拍子に持っていた霊樹の枝が手を離れて転がる。しまった、と思った瞬間僕は地面に押さえ込まれていた。
 痛い。うつぶせなので見えないが、胴を押さえつける硬いものは、靴底だ。押し付けられて、あばらが石畳とぶつかって、たまらん痛いじゃねえか。
「この野郎、はなせって、いたたたた」
 暴れようとした瞬間、がくんと首がのけぞった。折れる! 折れる!
 髪を束ねるようにつかまれ、引かれた。と気づいたのは一瞬後だ。
 ざくっと、耳元で軽い音。
 首が急に開放され、僕は勢い良く地面に顔をぶつけた。
「ぎゃっ」
 痛みと同時に、悟った。
 男――変態は僕の髪を一撃で切断したのだ。
「ちょ、束ねた髪って結構な強度なんだぞ、なんでそんな一撃で切り落とせるんだよ、どんな達人なんだよ!」
 押さえ込まれたまま僕は叫ぶ。
 髪一撃切り専門の達人とは、ろくでもねえ達人だあ! その技術の訓練風景とか考えて鳥肌立ったわ! 元から立ってたけどもっと立ったわ!
 現実逃避と言うなかれ。この場違いな想像と罵倒は、心を落ち着ける役に立った。ズィルバー師のときもそうだったが、どうも僕は心のままに罵倒すると落ち着く体質らしい。ろくでもねえな。
「ああ、くっそ……」
 男への嫌悪感で理性を失ったため、自らを第七の被害者にしてしまった。
 しかし、今の僕は一周回って冷静だ。自らに何が起こっているか完全に把握している。
 僕をうつぶせに押さえつける男の力は強い。だが押さえ込み方が素人そのものだ。しゃがんだ状態で片足だけ胴に乗せることで、自ら重心を崩してるじゃないですか。
 軸が安定しないことにより、きちんと力が掛けられないので、押さえ込みも当然不安定。拘束するためのポイントというものが全く理解できてない。
 視線で霊樹の枝の位置も確認し、反撃可能だと判断する。まあ、押さえ込みが完璧でも、そりゃそれで対処法はあるのだが。
 この野郎、後悔させてやる。
 僕の師である【野獣】アリーゼ・フェレス。彼女はこう言っていた。【敵は完膚なきまでにたたき潰せ。その為に魔術でも物理でも権力でも、つかるものは全部使え】と。

 有り難い師の言葉と、すべきことを頭の中で反芻し、いざ反撃を開始しようとした瞬間、急に体を押さえつけていた重さが消失した。

「え?」
 驚き、身を起こし振り向いた瞬間、僕の上を髪切り魔が飛んでいった。
 視界を変態が通り過ぎていった後、見えた人影。それは先ほど別れたばかりのサミさんだった。彼は男に一撃打ち込んだままの姿勢で立っている。その拳は色とりどりの属性魔術に彩られていた。
 大きなものが地面に激突した音、離れた場所で響く軽い金属音。そんなものが耳に届いたが、僕の目がサミさんからそらされることは無かった。
 あんなふうに、己の手足に魔力を纏い武器とする格闘術、僕はそれに心当たりがある。
「そ、それは、三代目国王レーバス・ニー・ラフェルタの時代に失われたはずの、フェルタ流格闘術! まさか! まさか! 継承者が存在していたとは!!」
 僕は変態のことも、髪のことも忘れ、全力で叫んでいた。伝説との邂逅に、全身が歓喜に震えていた。
 僕の解説を、サミさんも変態も素で無視した。
 ガン無視かよ。酷い。
 ぶっ飛ばされた変態は、乱入者の存在を確認し、慌てて逃げようとした。が、サミさんの方が早かった。
 というより、変態が遅かった。僕でも、解説さえしてなけりゃ、いや、解説後でも十分追いつける程度の素人じみた動きだった。
 僕はそこに違和感を覚えた。ユークリッド・ウェインも同じこと言っていたが、この男は僕が襲われるまで完璧に気配を断っていた。そんな男がこんなお粗末な動きしか出来ないのは何故だ。この男が優れているのは気配消しと断髪技術だけだというのか。それはあまりにも不自然すぎやしないか。
 考え込んだ僕を他所に、周囲の状況は続く。
 髪切り魔の退路に割り込んだサミさんは、冷たい声で言い放った。静かで穏やかなようでいて、しかし敵を芯から切り裂く鋭く叫び。
「変態滅殺」
 それは少しだけ、アリーゼ師の咆哮と似ていた。
 ……ズィルバー師、アリーゼ師がいなくてもここに伏兵がいましたぜ。既にセリンの森に旅立ったかの人に、僕は心の中で呼びかけた。サミさんは街ごとドッカンドッカンはしないはずだけど。フェルタ流格闘術という、使用闘技的な理由で。