星灯たちの諧謔曲

第一話【たいしたことのない事件】004

 セレストは窓の外の太陽が随分高くなっていることに気づき、気まずげな表情を浮かべた。慌てて立ち上がった彼は、そのままあたふたと帰る準備を始める。
 うわ、これは絶対に何かの時間をぶっちぎったな……。
「もしかして、僕のせいで何かすっぽかしたか? 悪かったよ」
「いや、そういうわけではない。……というか、フローリアの方が問題だろ。睡眠時間あるのか?」
「ないね!」
 もうここまでくると、かえって清清しい気分になる。ノリとしては完全徹夜系のアレだが。
「……あ、そうだ。僕もセレストに用があったんだよ。近いうち持っていこうと思ってたんだけど、丁度いいや」
 ドアの前までセレストを送ったところで、僕は一旦部屋に戻った。薬品棚から紙包みを取り出し、セレストに投げ渡す。
 包みを受け取った彼は喜色をあらわにした。
 中身は僕が作った、そこそこ甘い茶である。材料は森で取れるので、元手がゼロの懐事情には大変優しい代物だ。ちなみに、先ほど淹れたのも同じ茶である。
「おお、やった。フローリア茶だ!」
「おい、その名前はやめろ」
 誰かに聞かれたら、僕が製作物に自分の名前をつけちゃう自己顕示欲バリバリの人みたいに思われるじゃないですか。
 まあ名前のことはさておき、喜んでもらえてよかった。この街じゃあ、砂糖も蜜も樹液も高価だから、甘党のセレストにはさぞ厳しかろう。せいぜいそれで甘味分を補給するがよいわ。
「フローリア茶、俺の同類には絶対売れると思うんだけど、売らないのか?」
 かつてここの調味料物価に絶望したセレストは、茶の包みを見ながら問うてくる。
「うむ、僕もこの甘味不足の街で売ったら愛飲者が出そうだという事については否定しないな。でもなあ、……っておい、フローリア茶って言うな」
 残念なことに、茶を作る時間で薬を作った方が儲かるんだわ。あと、すっごく手間のかかる工程があるんで、不特定多数相手に作る気にはなれない。セレスト(かぞく)相手だから作れるのである。
「諸事情により、未来永劫その茶はセレスト専用だ。そうだ、セレスト茶って呼ぼう」
「マジで!?」
 断りついでに、名前つけちゃうイタい人の称号を押し付けると、何故か喜ばれた。
 すまん、十年も一緒にいるが、たまにセレストがわからなくなるよ……。



 その日は僕が眠いこともあったが、アリーゼ師が出張を押し付けられた件で荒ぶっていて、ほとんど講義にならなかった。
 アリーゼ師は自分の出張がズィルバー師のせいだということに気づいていた。おそらくは野生の勘で。
 怨念の篭った声で、ズィルバー師の名前を叫びながら大爆発を起こす姿は、正にズィルバー師が恐れる【野獣】の姿そのものだった。
 夕方にセリンの森に出かけるズィルバー師を見送り、少し寝て、夜は星見に行った。
 明け方に倒れるように眠り、正午の鐘で目が覚めたのが、丁度今のことだ。

 ろくな準備も出来ていないが、僕は早々に調査に出かけることにした。
 出張が延長タイムに入り、それが僕のせいだとアリーゼ師にばれると、ズィルバー師だけでなく僕も爆殺される可能性が高くなる。
 さっさと解決するが吉だ。
 傍目に見てる分にはかっこよくて大好きなのだが、その攻撃の的になるのはごめんである。
 部屋の隅に転がしていた木の枝を拾い、腰帯に差す。腕ほどの長さのこの棒っ切れは”霊樹の枝”という名前の、霊験あらたかな僕の得物である。故郷であるフェム地方の山中にゴロゴロ転がっているありがたい代物だ。
 犯人に遭遇した際、抵抗を受け交戦する可能性は十二分にある。何事も用心に越したことは無い。
 更に、いくつかの指輪を小物入れから取り出し嵌めた。魔術道具やら、劇薬やらなにやらを内包した補助具などである。これで、過ぎるほどに準備万端だ。
 本音を言うと、初日に早速犯人がひっかかるとか、そんな都合の無い展開無いわー、と思っているが、まあそれはそれで。



 昼の学生街は人通りが多い。
 全体的には僕と同じ学生用ローブを着ているものが多いが、商店の制服や魔術に関わりがなさそうな服装の連中もそこそこ見られる。
 僕は彼らの間を縫って、一軒の商店にたどり着いた。
 店の名は『ウェイン文具店・西地区支店』。こじんまりとしたこの店は、第六の被害者ユークリッド・ウェインの実家が経営している。
 日中、ユークリッド・ウェイン本人が店番をしているらしいのでやってきたのだが、さて、被害にあって数日の彼は、今日も店番をしているのだろうか。

 店内に入ると、客のいないがらんとした店の奥で、店名入りのエプロンをつけたキラキラしい金髪の男が、帳簿を睨みつけていた。
 僕の姿に気づいた彼は、愛想良く笑いかけてくる。
「いらっしゃいませ。お嬢さんお一人? もし昼食がまだなら一緒に何か食べに行かない?」
「ねえよ」
 おおっと、心に留めるはずだった言葉が、勝手に口をついてしまったぞ。この分では多分表情にも出たな。
 本来客が多そうなこの時間に、来店者が僕しかいない理由を確信した。絶対にこいつのせいだ。文具買いに来て食事誘われるとか面倒でたまらんわ。
 数秒で精神力を削られた僕は、しかしめげずに店員を観察する。
 外見年齢は十七、八。エプロンの下は僕と同じ学生用ローブ、ただし着崩しているが。髪は魔術を扱うものにしては短く、肩にさえついていない。
 特徴的には合致している。おそらく彼が目的のユークリッド・ウェインなのだろう。
「貴方が、ユークリッド・ウェインさん?」
「うん。オレがユークリッド・ウェインだけど。そんなことよりも君の名前が知りたいよ」
 ……ねえわ。そんなキラキラした笑顔を向けられても知らんわ。
 一番最近被害にあった為記憶が新しく、また【紫の理の会】の一員であるため聞き取りをしやすそうなこの男を最初の標的に選んだんだが、大失敗じゃね?
 資料作成した人、何故彼がこんな男だと書いていてくれなかったのだ。知ってたら別の奴を選んでいたぞ。
 彼のペースに付き合うと、僕の精神が崩壊することは想像に難くない。
 僕は徹頭徹尾事務的に対応することに決めた。
「私は【紫の理の会】から事件の調査に派遣されました、アレイス・F・クレスタです」
 ご希望通りに名乗ると、彼の表情が引きつった。
「ア、アレイス・F・クレスタ……?」
 何かドン引きされてるような気がするのは気のせいか? ドン引きしてんのはこっちなんだが。
 彼はうめくように問うてくる。
「【赤の魔術師】をタメ口で罵り、【野獣】アリーゼ・フェレスを口先で操作し、【会】の暗部を気分で動かす、噂の薬殺系脳筋魔術師、アレイス・F・クレスタ……?」
 最近僕にまつわる妙な噂が増えたよなあ。例の借金事件のせいだけど。隅っことはいえ新聞に載ったのが悪かったよな。
 何を言われても別に構わないが、魔術師でない人間を魔術師と呼ぶのだけはやめて欲しい。自称だと判断されると罰則金がつくんだよ。
 一応訂正しておこう。
「そのアレイス・F・クレスタだと思いますけど、その噂、最初の部分と脳筋以外は事実無根ですよ。それに私は魔術師ではありません」
「最初のと脳筋は本当なんだ……」
「本当です」
 否定は出来ぬ。ズィルバー師には一応丁寧語を使っているが、会話内容は酷いもんだ。
「そ、そうなんだ……」
 ユークリッド・ウェインは萎縮した。畏縮かもしれないが。
 多少不本意な形ではあるが、話を聞きやすくなったのは良いことである。
「時間、取れますか?」
「うん。どうせ客こないし」
 確信はしているが、原因はわからないといった表情を浮かべるユークリッド・ウェイン。
 ……それはあんたのせいだと思うよ。

 その日ユークリッド・ウェインはいつものようにこの店の店番をしていた。
 夕方、本店から在庫が切れた商品をそちらから持って来いと連絡が来る。面倒くさいと思いつつも、彼は商品を箱に詰めて店を出た。早く終わらせたいので、近道として最近出来た古書店の脇の裏道を使うことにした。
 彼が細く薄暗い道をしばらく進むと、道の脇に大きな物が積まれていた。彼がそれに気を取られ、邪魔だなあと思った瞬間、ガツンという音と同時に後頭部に衝撃と熱が走る。意識が瞬き、持っていた在庫を取り落とした。ああ、店長に怒られると思いながら、彼の意識は闇に落ちた。

「んで、起きたら【紫の理の会】の医務部でさ」
 後頭部の負傷は、脳へのダメージも無く、全治数日の軽傷だった。
 しかし、と続ける彼の表情が歪む。
「重傷だったのは、オレの髪でさあ……」
 ああ、魔術的意味が出るまで伸ばすと、一年以上はかかりそうな長さになってるもんなあ……。
 マジご愁傷様である。
「元々すっげえキマってる髪型だったんだよ? なのにこんな無残に切られててさ、それはもう絶望したよ……」
「え?」
「このダサい形を見てくれよ。切るにしても、もっとこう、イケてる感じに切って欲しかった!」
 悲嘆にくれるユークリッド・ウェインの髪型は、確かにお洒落ではないが、別におかしくもないのだが。
「切られてからナンパも全く成功しなくなってさあ、もう絶望だよ……」
 そんなことを泣き付かれても、僕にはどうしようもないんで勘弁してください。

 ユークリッド・ウェインの供述は、【紫の理の会】からもらった資料とほぼ同じだった。
 折角本人と顔をあわせているのだから、追加で色々聞いてみよう。
 主に、囮として犯人と遭遇した際、交戦の役に立ちそうな情報が欲しい。
「打撃についてですが、魔術的なものか、物理的なものかわかりますか?」
 ユークリッド・ウェインは即答した。
「おそらく物理的なもの。魔術が発生する時のピリっとした感触がなかったから」
「へえ」
 わーお。魔術の感覚がわかるとは、この人魔術の才能がある人なんだ。ナンパ師系変人店員なのが勿体無い。
 魔術の才能が無い僕は、その宝の持ち腐れ感をちょっと恨めしく思うよ……。
「後ろから、ということは犯人の顔は見てませんよね? 気配で人数はわかりましたか?」
 ユークリッド・ウェインは真顔で答える。
「殴られるまで全く気配が無かったからわからない。ただ、犯人は魔族じゃないと思う。いくら気配を消していても、魔族がいるとその空間の魔力濃度が変わるからわかるんだよ」
 それは、ものすごい魔力探知機体質だな。
 ユークリッド・ウェインからの情報をまとめると、犯人は人間。人数は不明。気配を消せるということは、武術に優れているか、それ系の魔術をユークリッド・ウェインの探知領域外でかけられていたかのどちらかって所か。まあ、彼の能力を考えると、前者の可能性のほうが高そうだ。
「ご協力ありがとうございました」
「いえいえ、また来てね」
 キラキラしい笑顔を向けてくるユークリッド・ウェイン。もう、アレイス・F・クレスタショックからは抜け出したらしい。