星灯たちの諧謔曲

第一話【たいしたことのない事件】003

 ドアを叩く。を通り越して、殴りつけるような騒音。眠りの淵に沈みかけていた僕は、その音で飛び起きた。
 煩いのは扉を叩く音だけではなかった。
「フローリア! アレイス・フローリア・クレスタ! いるんだろ! 居留守使うなよ!」
「うっるせえ! 居留守使ってたんじゃねえよ、寝てたんだよ!」
 怒鳴る訪問者にこちらも怒鳴り返すと、ドアの外は一転静かになった。
 ボッサボッサの頭と衣服を適当に整え、扉を開けると、予想通りの顔がばつが悪そうに立っていた。
「あー、すまん。起こして悪かった」
 僕と同じ学生用ローブを着込んだ長身痩躯に、茶色の長い髪。十七という年齢の割に少々幼い雰囲気が残る面立ち。そんな二つ年上の彼のことは、物心着いたころから良く知っている。揃ってラフェルタに来る前は、実家で毎日朝から晩まで一緒に過ごしていた、薬師業の兄弟弟子である。『フローリア』と僕を個人名で呼ぶのは、この街では彼一人だけだ。
 彼の顔を見た瞬間、僕の怒りはすっと引いた。が、口をついて出たのは憎まれ口だった。
「セレスト・クレイン。こんな朝っぱらから何の用だよ。そんなに騒いでたらここの大家に消されるぞ」
 取り繕う相手でもないので、僕の口調は素のままである。
 数多の大家伝説を知るセレストは、僕が出したその名に青ざめた。しかし、直ぐに気を取り直したようだった。
「【赤の魔術師】にまた何か押し付けられたって聞いて、妹が心配でやってきたおにいちゃんに対して酷い言い草だな、お前」
「だれがおにいちゃんだよ。弟弟子のセレストくん」
 残念ながら、薬師業の上下関係的にも、血縁的にも彼は兄とは言えなかった。
 とはいえ、セレストは同じ師匠の下でずっと一緒に育ってきた、家族に近しい相手だ。要するに一見険悪なこのやりとりは、お互い気心の知れた相手に対する冗談の類である。
 現に否定の言葉を食らっても全く気にした様子の無いセレストは、口の端に笑みを乗せた。
「これを見て、まだそんな憎まれ口が叩けるかな……」
 セレストはくつくつと不気味な笑い声を立てながら、僕の目の前に布の包みをちらつかせた。
「土産に、お前の好きな、白雲亭のパンをかってきた。早朝焼きたて一番乗り」
 借金を抱えてから、四ヶ月食べていないその名前を聞いて、僕はセレスト……ではなく、彼の持つ包みに飛びついた。
 布越しでもわかる、この指に伝わる柔らかさ、温かみ、漏れ出る香ばしい香り。これはまさしく、白雲亭の朝焼きパン!
「ありがとう! 素晴らしい兄さんを持って幸せだなあ。上がってお茶でもどうぞ」
 自分でも顔が笑っているのがわかるわ。逆にセレストは表情がひきつっているけど。
「お前、変わり身はやすぎんだろ……」
「細かいことにこだわりすぎると、生きるのが辛くなるよ、セレスト」
 もっともらしい台詞を兄弟子口調で語ってみるが、説得力無いことこの上ない。なんせ、僕自身もズィルバー師と話してると、細かいところに突っ込まずにいられなくなるからな。



 朝食を既に食べていたとしても、焼きたてパンは別腹である。
 その共通認識をもって、僕らは二度目の朝食を取ることにした。
 キッチンで茶を蒸らしながら、僕は一つの疑問を口にしていた。
「にしても、随分セレストの耳に入るのが早かったな」
「朝飯食いに行ったらさ、【赤の魔術師】がお前を言いくるめてたって、食堂のおばちゃんが教えてくれたんだよ。元々【赤の魔術師】が隠れて何かやってるのは気づいててさ、この忙しい時期に妙だなって思ってたところにおばちゃんからの情報だろ。こりゃヤバい話押し付けられたんだろうと思って飛んできたんだよ」
「あー、なるほどなあ」
 セレストはあの食堂の常連で、おばちゃんとは仲良しだ。そりゃ密会が筒抜けになるのも道理である。
 ズィルバー師の裏工作行動がかえってセレストの不審を誘ったというのにも納得だった。まあ、あの人が隠れてたかったのも工作してたのも、セレストじゃなくてアリーゼ師にだけどな。
 言いくるめられてたという部分については目を逸らしとこう。おばちゃんにまでそう思われてたとか、ちょっと泣きそうだわ。

 簡単にパンを切り分け、背後を振り向くと、テーブルに着いたセレストはじっとこちらを見ていた。
 その灰色の瞳はどこか物言いたげに見える。
 何か言いたいが切り出せない。って感じか。なら、僕から切り出すしかあるまいよ。
 彼の言いたいことはわかっている。今まで、ズィルバー師の仕事を請けた後、たびたび似たようなやり取りを繰り返してきたからだ。
 テーブルの上に切っただけのパンと淹れたばかりのお茶を置き、僕は言った。
「折角来てくれたけど、この仕事、降りる気も頼る気もないから。と最初に言っておく」
「……そういうとは思ってたよ」
 情け無い表情で呟いたきり、セレストはガコンと音を立て、テーブルに突っ伏してしまった。
 彼は、僕が危険に近づこうとすると、止めようとするか、手を差し伸べようとする。この自称おにいちゃんは、僕に対しとても過保護なのである。
 断ったものの、その好意はとても嬉しい。
「ごめん。でも、ありがとう」
 感謝を伝えると、セレストは机に頭を乗せたまま、目線だけで見上げてくる。その目元には拗ねた色が浮かんでいた。
「いーよいーよ。フローリアがそういうなら口も手も挟まない。だけど話は聞きたい。今回は【赤の魔術師】に何をさせられるんだよ」
「ああ、ちょっと待って」
 彼に事件内容を教えることは問題なかった。この街に来てから魔術の才能を現したセレストはあっという間に魔術師になった。今では【紫の理の会】の中でも結構中枢に食い込んでるようで、彼の前では守秘義務は無用らしい。『セレスト・クレインに話す分には気にスンナ』とは、以前ズィルバー師本人から頂戴した言葉である。口調は全然違うけど。てか、意訳だけど。
 僕は捜査資料の束から、概要が書かれた部分だけを抜き取り、セレストに突きつけた。
「読んだ方が早い」
 というのは方便で、おぞましくて口で説明したくないだけである。
 セレストは机の上の概要説明をチラ見した瞬間ドン引きした。
「うわあ……」
 タイトルだけでこの反応。
 ああ、わかる、わかるよその気持ち。僕も最初見たとき、いや、今でも引いてるから。
「ちょっと待って、ささっと読むから。うわー、何、この事件。つか人の妹に……こんな……あのやろ……」
 書類に目を通しながら漏れるセレストの声は、どんどん小さくなっていくが、逆に全身から噴出するどす黒いオーラは際限なく膨らんでいくようだった。
 僕は彼のそんな様子を見ながら、自分も席に着きパンを手に取った。手持ち無沙汰だったのもあるが、単純に食欲に負けたのだ。
「食べてていい?」
「うん。冷めたら勿体無いし」
「ありがと、頂きます」
 口に含んだ瞬間、広がる小麦の香りの素晴らしさといったら無かった。
 ぬくもりの中に溶け込むような、ほんのりした甘みもたまらんわ。
 至福とはこのことであろうよ。
 白雲亭のパン、愛してる。
「お前、本当美味そうに食うよなあ」
 いつの間にか書類を読み終えたセレストが、どこか呆れたようにいう。
「美味しいものに限るけど」
「ああ、不味いものは、本当に不味そうに食うよなあ……」
「師匠作、炭の塊とかな」
「調合の火加減はお手の物なのに、何で料理だけ駄目なんだろうな、あの人……」
 げんなりと瞑目するセレストの瞼の裏に、師匠――アレイス・キュープリオ・クレスタが作り出した数多の料理もどきが浮かんでいることは想像に難くなかった。
 ちなみに、セレストの疑問の答えは、あの人が全く料理に興味なく、また興味がないことにはやる気が出ない性質だからだと思う。調理中退屈になって、別のことを考え始めて炭化させてしまうのだ。



 食後は、説教地獄と化した。
 食事中感情をおさえてくれてたのはセレストの優しさだと思うのだが、終わった途端に怒り出すのはむっちゃ怖いって。消えていたどす黒いオーラもいつのまにか復活しているし。
 彼がべしべしと書類でテーブルを叩く。その音が耳に痛い。
 一番痛いのは、彼の目元に浮かんでるものが、怒りよりも心配の色の方が濃いことだけどさ。
 その表情からは、手も口も挟まない、という先ほどの言葉を後悔してるのがアリアリと伝わってくる。
「なんで、こんな怪しい仕事引き受けたんだよ」
「最初はドン引きしたし、断ろうと思ったよ。でも、報酬がすっごくよかったから」
「それこそ怪しいだろ。ケチくさい【会】が破格の報酬持ち出すなんて、何かあるって言ってるようなもんだろ……」
「それも実際考えたけど、報酬がすっごくよかったから」
 何を言われても報酬がよかったからと答えていると、セレストは盛大なため息をついた。そして、再びガコンとテーブルに伏してしまう。
「お前の事情を考えると、仕方ないのかなあ……。怪我人は出てないんだな」
「みたいだよ。髪を切られただけ」
 もちろん、死人も出ていない。
「出てたら、お前がなんと言おうが【赤の魔術師】に依頼書を叩き返しに行くところだ。更には、怒りで新たな力に目覚めることができただろうにな。フローリア守護結界とか、【赤の魔術師】抹殺光線とか」
「……今頃、思春期特有の病気にかかったのか? 大体、ズィルバー師は、あれでいて本当に危険そうな仕事は持ってこないよ」
 セリンの森の目玉抉り事件とか言ってたけど、ありゃ脅し込みの冗談である。
 どっちかというと、セレストの発言の方が危険だわ。おもに思春期の病気的な理由で。
 自分でも変なことを言った自覚はあったのか、セレストの耳の端が赤くなっている。面白いのでもう少しつついてみようと思ったが、その前に彼は話題を変えてきた。
「にしても、期限が酷く短いが、大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ。金髪専門髪切り魔なんて限定的過ぎて、犯人のめぼしも立てやすいしさ」
 セレストは疑わしそうな表情を浮かべるが、別にはったりじゃなくってよ? さっきは脳筋思考で明日に丸投げしてしまったが、推察くらいならいくらでもできるもんだ。
 僕は頭の中で少しまとめてから、口を開いた。
「聞き込みすると別の可能性も出てくるかもしれないけど、現時点で二通りくらいは考えられるな。一つ目は正直外れてて欲しいけど、金髪が大好きでたまらない手合いの犯行」
 自分で言ってぞわっとした。セレストも同じ気持ちらしく、硬い声で端的に言った。
「変態だな」
「変態だよ」
 単純明快である。
「もう一つは普通に呪術師の仕業。持ち帰った髪を呪術の触媒にすることかな。こっちの方がそれらしい、かなあ」
「髪に宿った余剰魔力狙いじゃなくて、触媒用?」
「僕が魔力目的で髪を集めるなら、金髪ではなく黒髪の奴を狙うよ」
 もっと直接的な表現をすると、魔族を狙う。ということだ。
 黒髪と魔族と魔力が密接するのは単純な理由である。
 まず前提として、魔力は濃厚であればあるほど黒に近づく。先ほどセレストが発してたどす黒いオーラの正体はこれで、感情に引かれ集まった魔力が原因だったというわけだ。
 次に、髪に宿る呪力、要するに余剰魔力が髪に取り込まれた状態を起こすと、髪は当然本来の色を塗り潰され魔力の色に染まる。
 魔族は皆、大きく濃厚な魔力を持っているので、髪には大量の魔力が宿り、例外なく髪が漆黒に染まる。
 対して、人間は基本的には、髪色が黒味を帯びるほどの魔力は持たない。よって、親から遺伝した色そのままだ。
 当然人種的に黒髪の人間も存在するので、彼らと魔族を混同する可能性はあるものの、黒髪を狙えば他の色の者を狙うよりも強い魔力が宿っている可能性が高くなるというわけである。
「同じ色の髪ばかり狙われてる理由も、特定の金髪の人間を呪う為に、呪をつなげやすい同色の髪を集めてると考えると筋は通る」
 今の所は呪われた人間はいないって自信満々に言い放った魔術師先生がいたけど、呪いたい相手が切られた本人じゃないなら、そりゃ当然被害者の中に呪われた者はいないだろうよ。
 呪いに関しては大丈夫だと安請け合いしたズィルバー師が、本当に大丈夫だと思っていたとは流石に考えていないが、頭の中で揶揄るくらいは許されるよな。
 尚、呪われそうな、素行の悪い金髪の人間には、数名心当たりがある。
 僕が知る限り、一番呪われてもおかしくない人物は、とある事件を起こし借金を抱え込んだ迷惑な学生、アレイス・F・クレスタである。
 つまり僕本人であるのが、笑えない事実であった。