星灯たちの諧謔曲

第一話【たいしたことのない事件】002

「言い忘れてたけど、君の在籍する魔術基礎科なんだけどね。アリゼ君の緊急出張で明日から三日ほど休講になるから、その間に事件を片付けると君もアリゼ君も幸せかもしれない」
「……そんな重要なこと言い忘れないでください」
 最初に教えて欲しかった。
 脳内、実際、両方で「暇じゃない暇じゃない」って言い続けた僕が道化じゃないか。
 恨めしげな視線を送ると、ズィルバー師は「ごめんごめん」と、悪びれない調子で笑う。ダメだ、こりゃ。ズィルバー師は全く反省などしていない。

 ちなみに、『アリゼ君』というのは魔術基礎科講師のアリーゼ・フェレス師のことである。魔力量が少なく、技術も死んでる僕に、根気良く指導してくれるありがたい人だ。
 受講者は僕一人しかいない。魔術学院に入るような連中は、魔術基礎などとうの昔に修めてるのが普通なので、超絶不人気講義なのだ。

「それにしても、緊急出張って、本当に寝耳に水なんですけど」
 昨日の段階では、アリーゼ師はそんなこと一言も言っていなかった。
「今朝決まったんだよ。君を呼び出す一時間くらい前」
「それで、急遽休みになった僕に、この事件が回ってきたんですね」
「うん。概ねそんな感じだけど……」
 ズィルバー師は少し言いよどんだ。
 僕は容赦なく続きを促す。
「だけど?」
「君も食い下がるねえ……。うーん、実を言うと、ちょっぴり策を講じてアリゼ君を首都から追い出したんだ。その結果、外見条件が合致してる君が休みになったから、これは都合がいいね、そのまま任せてしまえって」
「ぶっ」
 にこやかに返されて、僕は今度こそ茶をふいた。
 目の前の魔術師先生はちゃっかりと茶を避けた。
 あんたむちゃくちゃだろ。追い出したってなんだ、追い出したって。
 僕の手も借りたいような忙しい時に、高位魔術師追い出して何がしたいの?
 さっぱり意味がわからない、さすが派閥のナンバー二。もう、なにが流石なのかよくわからなくなってきたけど。

 そもそもだよ。
 ズィルバー師がわざわざ策を講じてアリーゼ師を急遽出張するような状態に追いやったのが本当だとしてさ。
 流石のズィルバー師もこの事件だらけでクソ忙しい中、仕事中の人間を追い出したりはしないだろう。と常識的観点から推測するに、アリーゼ師の手は、ズィルバー師が追い出し工作しなければ空いていたはずなのだ。
 彼女ならこのような事件、力技で悠々と解決できたのではないだろうか。
 【野獣】の異名を抱く彼女は、良い意味でも悪い意味でも行動的で実力派な女性だ。実力派という部分は、実力行使派と言い換えた方が意味合いとしては正しい。なにより、彼女は犯罪を憎んでいる。この手の事件、誰よりも先に意気揚々と飛びつきそうなものである。

「あの、ズィルバー師は、何故アリーゼ師を追い出したりしたんですか? そもそも、どうしてアリーゼ師にこの事件任せなかったんです? アリーゼ師、本来は別に忙しくなかったはずですよね」
 僕の心情を反映し、詰問するような口調になってしまう。
 ズィルバー師の返答は、引きつり上ずった声だった。
「……君は大変恐ろしいことを言う。斯様な事件を与え、アリゼ君を街中に解き放てというのかい? 『犯罪撲滅』と叫び、意気揚々と街中をぶっ壊しながら、犯人を追い詰めるアリゼ君の姿が君には見えないのかい?」
 ズィルバー師の表情が、今日始めて大きく崩れる。それは恐怖に満ち満ちたものだった。
 彼が脳裏に浮かべた恐怖のビジョンを僕も垣間見、慌てて首を横に振る。
 一瞬浮上したのは、アリーゼ師に師事して二ヶ月目に起こった【灰色髑髏事件】の記憶だ。建物ごと犯罪者をボッコボコに吹き飛ばし、雄たけびを上げる彼女の姿は正に【野獣】。その獰猛さはレーセーズ地方に巣食う魔獣すら凌駕していた。

 ここに来てようやく、ズィルバー師の本音が理解できた気がする。遠まわしな説明で僕を煙に巻いてたのは、『犯罪者相手に大暴れするであろうアリーゼ師が怖いから、事件から遠ざけたかったんです』と、プライドが邪魔してどうしても言えなかったからに相違あるまい。
 彼が私情で工作し、采配した事に突っ込みを入れるべきかもしれない。しかし僕は何も言えなかった。
 偉大な魔術師にも弱点は存在するものだと知ってしまったからだ。
 それが、身近な女性に対する恐怖だというのが、また涙を誘う。
 僕は生暖かい気分になり、また穏やかな心境にもなった。これが明鏡止水の境地というものだろうか。……多分違うような気がする。
 この件にはこれ以上触れないほうがいいだろう。それが、人道的な対処というものだ。とはいうものの、上手い話の逸らし方が思い浮かばない。こりゃあもう、逃亡するしかないな。
「それじゃあそろそろ失礼します。やると決めた以上、頑張らせてもらいますよ」
 相手の返事も待たず、机の上の資料を袋におさめ、席を立つ。
 カウンターに食器を戻す前に、僕は最後にズィルバー師に振り返った。
「あ、そうだ。最後にもう一つ。三日のうちに片付けると、僕はともかく、なぜアリーゼ師が幸せになれるんですか?」
「それはもちろん髪切り魔事件の解決が延びれば延びるほど、出張先でのアリゼ君の仕事が増えるからだよ」
 言外に、片付くまで帰らせないと言ったズィルバー師に対して、ツッコミを飲み込んだ僕はとても理性的であった。



 自宅であるところのボロアパートに帰宅した僕は、ズィルバー師から受け取った事件の資料を机の上に広げた。
 正式に依頼を受けてから渡された資料はそれなりの厚みがあった。
「被害が集中してるのは学生街西地区と南地区。モロに【紫の理の会】の管轄だな。こりゃあ、派閥の面子にかけても、放置できないわけだ……」
 むしろ【会】が喧嘩売られているのでは、とも思う。
 最初の被害者が出たのは十四日前。前の半月と星が交差する日。その日から、被害者は六人に上る。結構な頻度である。
 同封されていた地図には、事件現場六ヶ所に印がつけられているが、特に法則性はなさそうに見える。大通りを避けた、西地区と南地区に集中しているだけだ。

 第一の被害者、セリア・ユーウィー。第二の被害者、カロライン・レヴィ。第三の被害者、クリストファ・ノリス・ハミルトン。第四の被害者、ケイン・ローランド。第五の被害者、ヨハンナ・ハインツ。第六の被害者、ユークリッド・ウェイン。以上六名。
 その中に、幸か不幸か知り合いはいなかった。名前だけ見ても、男女見境なしなのがわかる。全員学生で、職員や一般の人間は含まれていなかった。また、髪色のことを考えると、全員人間だと考えるのが妥当である。魔族は種族的特徴として、髪は漆黒になるからだ。
「ここに、第七の被害者、アレイス・F・クレスタとして名を連ねるのはごめんだなあ」
 別に自分の髪に思い入れがあるわけではないが。単純に人に切られるというのが気持ち悪い。持ち去られるのだから尚のことである。
 本人にも確認したが、ズィルバー師は僕に推理だの地道な調査だのを期待しているわけではなかった。単純に、おとりになって犯人をおびき寄せ、ぶちのめして捕獲しろといっているのだ。僕自身この手の調査をしたことはないので、ズィルバー師推奨の方法に従うつもりだった。自分で言うのもなんだが、頭を使ってうまくいく気が全くしない。ふふふ、脳筋と笑うがよいわ。
 とまあ、自虐はこの場はおいといて、一度現場を見に行くなり、被害者に話を聞きにいくなりするべきかもしれないな。最終的にぶちのめすにせよ、相手の情報を少しでも拾っておくに越したことはない。見当もつけずに学生街をうろうろするのは時間の無駄だ。
 なんにせよ、今日は講義があるのだから、調査は明日からの話である。
 時計を見るが、出かけるにはまだ早すぎる時間帯だ。
 ちょっと一眠りするか。今朝はズィルバー師に呼び出されたので、半端なく寝不足である。仮眠程度でも取っておかなければ死んでしまう。
 僕は寝る準備をし、寝台に転がった。

 そう予定通りにいかないのが、僕の日常というものなのだ。
 それを思い知ったのは、転がってわずか数分後、うとうとし始めた時のことである。