観光都市フェルエンの南西に広がるローチカの森付近には、古い街道がある。
この道は旧道に分類されていて、整備が行き届いておらず、あまり状態が良いとはいえない。
しかし、フェルエンから南西にある商業都市カルミアに向かうには、この道が一番近く、あまり整備が行き届いていないにも関わらず、そういう理由で利用するものがたまにいる。
旅人マグノリアも、そういった者の一人だった。
◆
森に拓かれた旧道を歩くマグノリアは、前方の木陰に人がうずくまっていることに気づいた。
彼が真っ先に考えたのは、盗賊や山賊といった可能性である。
急ぎの用でこの道を短縮路として使う商人の姿は割と多く見られる。この道に盗賊が出るという噂をフェルエンでは聞かなかったが、そういった類の者が出没したとしても不思議はなかった。
腰に佩いた剣を意識しながら、マグノリアはそのまま人影に向かって歩き出す。
盗賊の罠という可能性もあったが、あえて堂々と近づくことにしたのだ。
噂にもならない程度の盗賊なら、切り伏せる自信があるから出来ることともいえる。
近づいてきたマグノリアの気配に気づいたのか、蹲っていた人物が顔を上げた。
二十代半ばくらいの、見た感じ爽やかな雰囲気の青年だ。
仕立てのいい服を着崩さずに着込み、きっちりと整えられた髪は多少神経質な印象をもたらしたが、それは欠点にはなり得ないとマグノリアは思った。
「具合でも悪いんですか?」
こんな風貌の盗賊はいまいと、マグノリアが声をかけると、青年は首を振った。
「いいや、そういうわけではないんだけどね。ちょっと疲れて座ってたんだ」
「そうですか」
と応えてみたものの、マグノリアの目から見て、青年は盗賊とは別の意味で怪しかった。
服装からみて商人、あるいは議員などの、はっきりとした出自の者だろう。
しかし青年の周囲に荷物はない。そう、彼は水すら持っていないのだ。徒歩の旅人としては有り得ない状態である。
「まさか、盗賊に荷物を奪われた。なんてことはないですよね……?」
構う義理はないのだが、ついついマグノリアが訊ねると、青年は首を振る。
盗賊の被害者でないことほっとしたマグノリアだったが、最初の疑問は全く解消されていない。
改めて問うと、青年は事情を語りだした。
「ちょっと旅に出ようとフェルエンを飛び出したんだけど、荷物を持ってくるのを忘れてしまってね」
「はあ……」
所持金がないことに気づかれ、馬車から放り出され、そのままこの街道を彷徨っていたらしい。そんな説明をしながら青年は快活に笑った。
「荷物がないのは大変でしょう。水でもどうぞ」
マグノリアは青年に予備の水を差出した。別に親切心からの行動ではなかった。
言葉をそのまま信じると、青年は随分風変わりな人物である。こういう手合いとあまり関わり合いになりたくなかったマグノリアは、青年が水を飲んでる間に暇を告げようと思ったのだ。
見知らぬ相手からの水など、マグノリア自身ならまず手をつけようとは思わないが、青年は微笑んで受け取った。
「ありがとう。僕の名は、オーウェン・クリストフ・リィ・ニール・カーサスという」
「……リシューの大作家、オーウェン・クリストフ・リィ・ニール・カーサス? 水竜の巫女の著者の?」
かつて旅の間に聞いたことのある名前に、マグノリアは思わず問い返してしまう。
一瞬目を瞠った青年は、鮮やかに表情を変化させた。喜色に満ちた、満面の笑みに。
ぼとりと水筒を落とし、青年は勢い良く立ち上がった。
「僕の名を知っているとは、そうか、君こそが僕の探していた勇者だったんだね」
「は?」
青年の言葉の意味がわからなかった。
戸惑うマグノリアの手をとり、青年は上下に激しく振りはじめた。
マグノリアは後に思う、それが、地獄の始まりだったのだと。
◆
森の中、マグノリアは山賊と対峙していた。
何故こんなことになっているのか。そのことを思い出すと、マグノリアは苛立ちのあまり目の前の山賊に八つ当たりしたくなる。
そんな彼の気も知らず、マグノリアを苛立たせる当の本人が、能天気に声を上げた。
「勇者は魔物に囲まれてしまった、しかし慌てず剣を一閃! それは正に正義の太刀筋!」
「うるさいです!」
怒鳴り返し、しかし、言われた通りにマグノリアは剣を振るった。
マグノリアに切りかかろうとしていた山賊は、腕の筋を裂かれ、ナイフを取り落とし蹲る。その男を更に蹴倒したマグノリアは、斜め前方に一歩踏み込み、後ろに控えていた新手の剣を受け止めた。
「なんで!」
そのまま力任せに押し返したマグノリアは、バランスを崩した相手に足払いを掛ける。山賊そのニはあっさりと横転した。
「僕が!」
無力化すべく、山賊そのニの手首を駄目押しに踏みつけていたマグノリアは、突然後方に飛び退る。
彼のいた場所を、長剣が凪いでいった。
山賊その三の大振りの直後、懐に飛び込んだマグノリアは相手の腹に束を叩き込んだ。山賊その三は、濁った声をあげ崩れ落ちる。
「こんなことを!」
先ほどからのマグノリアの叫びには悲壮感が満ちていたが、その場にいるものは皆てんで無頓着だった。
「それはこっちの台詞だ! お前は一体なにものなんだ!」
残された山賊その四も負けじと怒鳴り返す。
ちなみにこれが立っている最後の山賊で、恐らく山賊たちの頭だ。
マグノリアは律儀に山賊の疑問に答えた。彼は剣で後方の作家を示し、
「そこで好き勝手に物を言う、変な作家に絡まれた哀れな旅人ですよ! ええ、本当に! 被害者なんです! 同情してください!」
彼をよく知るものがいれば、癇癪を起こすマグノリアの姿を珍しいと思っただろうが、生憎ここにはリィ・ニール・カーサスとマグノリア本人、そして不幸な山賊たちしかいなかった。しかも四人いた山賊のうち三人は気を失っている。
「同情して欲しいのはこっちだ!」
と、山賊その四はある意味もっともなことをいいながら得物を構える。
「あなたが山賊なんてしてるから悪いんです!」
マグノリアも、作家に向けていた剣を山賊その四に向け、構えなおす。
鋭く睨みあう二人の緊張が、その場を支配した。
しかしその時、涼やかな声が二人の対決を遮った。
「うん、そろそろ真打登場って感じかな」
後方の木陰に隠れていたはずのリィ・ニール・カーサスが、気付けばマグノリアのすぐ後ろまで来ていた。
作家は芝居がかった様子で口を開いた。
「仲間のピンチに、覚醒する秘められた力。王道だねえ。君が強すぎてピンチらしくないのはちょっと気に入らないけど」
「何言ってるんですか! あなたは下が……って、」
拗ねた声音でよくわからないことを言うリィ・ニール・カーサスに、マグノリアは警告しようとしたが、その言葉は途中で彼自身によって止められた。
背後から異様な気配を感じ取ったからだ。
危険、という本能の警告をマグノリアは信じた。彼は全力で左側の茂みに逃げる。
「ruohn zet det. rea sheaw reen haft」
葉擦れの音よりも鮮やかに、世界を変える声が聞こえた。
2013年12月16日(ウェブ拍手)/2014年2月20日(サイト掲載)