逃避するための手段に逃避を選び、ただ夢を抱き願うことを望んだエルタとループ・シィの旅は、生きるためにとある女に会う旅に変わっていた。
星も見えない街で、例の研究の正式名称を知っている者がいたのだ。
捕まえて問いただすと、
「一年半前、先生が引っ越してきたとき、辞めて抜ける前はそんな研究をしてたっていってたんだよ。え、先生? 先生の名前は―― 」
その『先生』の名前とループ・シィの記憶の中にある一人の元研究者の名前は一致していた。
「エディシア・ルー女史、ね。何か手がかりになると思うか?」
「さあ、そんなの会ってみなきゃわからないよ」
隣町に住むというその元研究者を尋ねるため、二人は街道を歩いている。
その女は何らかの延命法を知っているのか。
知っていたとして、聞き出すことが出来るのか。
ただあてもなく逃避していたときより、手がかりを得た今の方がエルタの心は重かった。
希望というものは確信できないのであれば、むしろ不安を煽るものだ。
それに、エルタには懸念があった。
「結局、エディシア・ルーというその女。どんな女なんだ?」
不審もあらわに問うて来るエルタに、ループ・シィは肩を竦めた。
「今日の君は、やけにとげとげしいねえ」
「とげとげしくもなるに決まっているだろう。確かに手がかりは手がかりだ。しかし、相手は研究者だぞ。研究を離れた人間とはいえ、いや、離れたからこそ、ループにどんな感情を抱くかわかったもんじゃない」
エルタの言うことも尤もだった。確かに、顔をあわせた瞬間、処分される可能性もある。
自分のためにもエルタのためにも『エディシア・ルー』のことを思い出そうとするが、実験のかなり初期にいなくなったその人物のことを、ループ・シィもよくは知らない。
何より、当時は研究者の名前、むしろ職員番号以上の情報を必要と思うような心さえ彼女にはなかった。
「ほとんど覚えちゃいないよ。ただ、まあ。元研究対象が現れたからといって、いきなり殺すような人じゃなかったとは思うね」
研究者の人となりを重要だと思っていなかったため当時の記憶などほとんど無いが、断片を拾い集めて見ると、さほど悪辣な人物ではなかったような気がする。
そう、彼女は、ループ・シィに仄かな『心』が存在することを認めていた。
ループ・シィに言葉を教えたのも、彼女であったとおぼろげな記憶は告げている。
「そうか、なら、警戒の度合いを下げてもいいのかもしれないな」
「割といい人だっていってるのにその物言いはどうかな」
「なんだ、先ほどの言葉は褒め言葉だったのか?」
エルタの呆れた表情にループ・シィは自分の言葉を思い出す。
そして彼女は眉根を寄せた。
確かに、それは褒め言葉とは思えないものだったので。
隣町についた二人が、町人にエディシア・ルー女史の住居を尋ねると、簡単に答えは返ってきた。
皆彼女のことを『先生』と呼ぶ。どうやら慕われているらしい。
教えられた場所を訪ねると、でてきた女は目を見開いて呟いた。
「……あなた、『LOOP-C』?」
「エディ……」
と、ループ・シィもまた声を漏らした。
一部始終を話した後、とりあえず、研究破棄した連中に自分達を売り渡さない、という約束は取り付けた。
約束しなくても、まあ、この女はそんな真似をしないだろうとエルタは思う。
ループ・シィの言うような『割といい人』かどうかはわからないが、確かに受け答えから見てそういうタイプの人間ではないだろう、というのがエルタの見立てだ。
「それで、延命はできるのか?」
エルタの質問に、エディシア・ルーは難しい顔になる。
「……例えばラットの寿命は三年程度。給餌制限で多少それを延ばしたとしても、ラットとしての限界を超えるものではないわ。人工精霊もそれと同じ。二年半で寿命が来るように造られた、そういう種なの。ループ・シィも定められた寿命を越えることは出来ない」
種を越えた延命は不可能。それが自然の摂理だと続ける女に、エルタは冷笑した。
「戯れに生命を作っておいて、自然の摂理、だと?」
それはエディシア・ルーにとっても痛い点だったらしく、彼女は黙り込んだ。
エルタは言葉を続けようとしたが、ループ・シィの言葉が割り込み、それは止められる。
「エルタ。それはエディだけの問題じゃない。それじゃあ苛めてるのとおんなじだ」
ループ・シィは諌めるが、エルタにしてみれば、苛められているのはループ・シィのほうだと断言できる。
割といい人? ループはそう言ったが、実際に合ってみてエルタはその意見は的外れだと確信した。
「ループ。勝手な都合でそういう風に作っておいて『寿命だ』と断ち切るこの女は、絶対にいい人なんかじゃない」
「……そうね」
答えたのは、ループ・シィではなく、エディシア・ルーだった。
自覚があるのか、とエルタが睨むと彼女は堪えきれず目を逸らす。
その様子に、酷く攻撃的な衝動がエルタの中で沸きあがった。
「なあ、そもそも何故お前は研究をやめたんだ? 飽きたのか? 非人道的だからか? 罪悪感か? まあ、なんにせよお前はループを捨て、今こうして―― 」
「エルタ!」
やはり、それを止めたのはループ・シィだった。
「エルタ、もう、それ以上は」
「ルー―― 」
後ろから腕をつかまれ、言葉を止められたことに苛立ちを覚え、勢いよく振り返ったエルタは硬直した。
ループ・シィは泣いていたのだ。
「ルー、プ」
「別に、エディを庇ってるわけじゃないんだ。ただ、エルタが人を傷つけるところを見ていたら、」
勝手に涙が流れたのだと、目元を拭いながらループ・シィは言った。
困惑気味のループ・シィの涙は、それ故に純粋に心のままに落ちたものだとエルタにはわかった。わかってしまった。
もう、エディシア・ルーに苛立ちをぶつけることは出来ない。それは、ループ・シィをも傷つけることになるからだ。
それに、本当はそれが八つ当たりだということもエルタにはわかっていたのだ。
「謝りはしないが、反省はする」
それが、エルタに出来る最大限の譲歩だった。
「ループを助ける方法は、あるかもしれないわ。勿論寿命を延ばすという方法は無理なのだけれど」
「本当か……?」
疑心に満ちたエルタの目に、エディシア・ルーは頷いた。
「確実とはいえない。でも、かつて私が無慈悲に捨てた私の子供『LOOP-C』に出来ることはやってあげたいと思うの。今更、だけどね」
信じられなければ去ればいいというエディシア・ルーに、結局のところエルタは縋るしかなかった。
※
二ヶ月が過ぎた。
エディシア・ルーの元で助手のような仕事をしながら、エルタとループ・シィは過ごしていた。
緩々と、穏やかな夢を見ているような日々だった。
「穏やかかつ暇だねえ」
「全くだ」
たまにエルタが研究者気質の抜けないエディシア・ルーと喧嘩することもあったが、大抵の日は波風なく穏やかに過ぎていく。
エディシアの言う『助ける方法』は彼女がいうには順調に進んでいるらしかった。
「それにしても、ループは変わったなあ」
庭の木の下に座り、空を眺めながらエルタは過去を思い出す。
出会ったときとも、旅にでたときとも、今のループ・シィは明らかに違う。
ばっさりと何事をも切り捨てるようなところはなりを潜め、今や涙さえ覚えた彼女は、常に心を柔らかに進化させている。
隣で同じようにしていたループ・シィは、木漏れ日を受けるその顔に、懐かしげな、そして少し困ったような表情を浮かべた。
「そういうエルタも変わったね。まさか、星なんていらないだなんて言い出すとは思わなかった。それに、エディを苛めるときのエルタは中々凶暴だった」
ループ・シィの言葉に、エルタは苦笑する。
「忘れてくれ、とは言わないけど」
「だろうね」
あれも自分の一部だと言うエルタに、ループ・シィも頷いた。
「そうそう、君にいっとかなきゃいけない言葉があったんだ」
エルタは眉を顰めた。
「……それはまるで今生の別れを前にしたような言い方だな……不吉だからやめてくれ」
立ち上がったループ・シィは、そんなつもりは無かったよ。と穏やかに笑った。
エルタも笑い返す。
「それで、なに?」
ループ・シィはエルタの言葉に笑みを深くする。
彼女は静かに口にした。
「星に願いを掛けて、それだけで叶うとは今も思っていない。でも、その願いを指標にして、行動を続ければ望みに近づけることもあると、今のわたしは思っている」
一歩踏み出し、まぶしげに真昼の空を見上げたループ・シィは、ここで一旦言葉を止めた。
すぐにエルタに視線を戻したループ・シィはやはり静かに笑っていた。
「あのねエルタ。ありが―― 」
とう、と続くはずだった言葉がもたらされることは終ぞ無かった。
「ループ……?」
もう、そこにループ・シィの姿は無かった。
何が起こったのかエルタにはわからなかった。でもわかってもいた。
音もなく、ただ崩れ去ったループ・シィの欠片は、もう何処にも残ってはいない。
瞼を閉じれば、まだそこにいるような気がするのに。
晴れやかに笑う姿も、呆れたような仏頂面も、そしてあの日見せた涙も。
瞼の裏には見えるのに。
目を開くが、やはりそこには何も無かった。
エルタは叫ぶことも、泣くことも出来ず、ただ呆然とすることしか出来なかった。
(2009.10.08)