海にせり出した崖の上で、私の足は役に立たなくなっていた。
へたり込んだ私を忌々しげに見つめる二対の瞳は、この命を果てへと追いやろうとしていた。
彼らの向こうに見える森も、その上に広がる青い空も、何の慰めにもなりはしない。
旅立ってからずっと心に置いていた覚悟。そんなものは、いざ死を前にすると何の役にも立たなかった。
膝が震え、一歩も歩くことができない。
ボロボロとみっともなく泣きながら、生にしがみつくことしかできない。
「死にたくないよ」
無意識に、縋るように冷たい地面を掻いた私の右手を、彼らの片割れが掴む。
悲鳴を上げたつもりだったが、実際喉から漏れたものは、壊れた笛の音に似た鋭い呼吸音だけだった。
情け容赦なく引き立てられ、崖の淵に追いやられた。そこから見下ろした海は、故郷の海とは似ても似つかない。
黒い水が荒々しく渦巻き、岩に打ち付けられ白い泡を立てている。耳に届くのは、恐ろしい唸り声めいた波音だ。
最後の場所が海だと聞いていたので、少しだけ期待していた。
水底が見えるほど透明な、少し碧がかった青い海、白い砂の輝く穏やかな波打ち際。泳ぐ魚。
何処までも続く、遠浅の海。
そんな場所が、最後の地ではないのかと。
だけど、現実は残酷だった。
こんな荒れ狂う暴虐の坩堝に、感傷めいた思いを抱くことは不可能だ。
夢など見ない。自分にそう言い聞かせながらも心の隅で密かに見てしまった夢は、儚く消えた。
それと同時に、私の中で燻っていた感情の残り火が、諦念に食われ消え失せた。
◆
王国暦二二九年、八の月末日。
ミモザ・フュイユは海に食われる前に、絶望に食われて死んだ。
2016/08/25 up
初掲載:2013/05/21(小説家になろう)