星灯たちの諧謔曲

闇夜のカデンツァ【怪しいランプ】001

 人使いが荒い。
 首都に引っ越してきて数日目、早速舞い込んだ仕事に向かうため、サミ・ロイヴァスはぼやきを飲み込んで部屋を出た。
 頻繁に舞い込む厄介ごとへの対処は【魔王】なる称号を得たものの義務といわれればそれまでだが、それにしては知人の魔術師に体よく使われているような気がしてならない。悪漢を退治するようなスカっとした仕事ならやる気も出るのだが、今回の件はそういう種類でもない。どちらかというと、苦手な部類の仕事だ。
 ため息をつきながら部屋の扉を閉めると、蝶番が派手に耳障りな音を立てた。無意識にサミの眉根が寄る。ここに越してきてからのもうひとつの懸念事項がこれだ。
 築何年かは不明だが。おそらく自分が生まれる前から存在していたであろうこのアパートは、とんでもない悪物件だったのだ。
 越してきたばかりだというのに、既に二度も床板を踏み抜いてしまい、壁にも何箇所か穴を見つけた。あまり考えたくないことだが、雨天時には雨漏りが起こる可能性もある。
 隣の部屋の、唯一引越ししてきたサミの存在に気づいてくれた、なんだか押しに弱そうな雰囲気の少女に聞けば雨漏りの有無を教えてくれそうな気がするが、親しくも無い女性の部屋にわざわざ聴きに行くのもためらわれる。彼女以外の近隣住人には、未だに存在を気づかれていないのが悲しいところだ。
 この部屋を紹介してくれたのはかつての師であったが、何故こんな部屋を勧めてきたのだろう。もしかして、自分は何か師の恨みを買っていたのだろうか。……買っていたのかもしれない。思い返してみれば師には毎日のように叱られていた。
「……駄目な弟子だったなあ」
 戸締りひとつで憂鬱な気分になったサミは項垂れた。元々ネガティブな性格なのである。
 思う存分落ち込んだ後、サミは何事も無かったかのように施錠した。
 ここでもまた、この物件の問題点を目の当たりにしたサミの表情が曇る。
「うっすい扉だなあ……」
 ぺらぺらでガタガタの扉は、キックの一発でもお見舞いすればあっさりと外れてしまいそうだ。
「魔術で閉じとこう。そうしよう」
 立て付けの悪い扉に結界の魔術をかけていると、ちょうど階下から現れた茶髪の少年が戸惑いの表情を浮かべた。学生ローブと長髪という特徴から見て魔術師であろう彼には、サミの魔術が見えたのだろう。一応魔王の称号持ちであるサミの魔力は無駄に黒い。初対面の相手に驚かれるのは、ごくごく通常の反応である。
 少年がそれ以上の反応を示さなかったので、お互い会釈だけして通り過ぎた。住人かもしれない人物とのファーストコンタクトが無事に終わり、人見知りの気があるサミはほっとする。
 しかし、その安穏は一瞬で終わりを告げた。突如、ガンガンと廊下に鳴り響く音に驚き振り返ると、とんでもない光景が目に入った。先ほどの少年が隣室の扉を全力で叩いていたのだ。
「ええー……」
 少年の凶行はもとより、いくら殴られても扉がびくともしないことにサミは目を瞠った。薄く見えても意外に丈夫だ。結界の魔術は必要なかったのかもしれない。
 しかしそんな感嘆はすぐに吹き飛ぶ。女の子の部屋にこんな乱暴に押しかけてくる少年。それはもしかして悪漢の類なのではないか。
 ――変態は滅殺すべし。
 己のポリシーに突き動かされ、少年に声をかけようとしたが、それよりも早く、
「フローリア! アレイス・フローリア・クレスタ! いるんだろ! 居留守使うなよ!」
「うっるせえ! 居留守使ってたんじゃねえよ、寝てたんだよ!」
 アパートの廊下に響く少年と少女のやりとりに、サミの言葉は引っ込んだ。
 隣室の少女は口が悪かった。柄も悪かった。とんでもなく悪かった。押しに弱そうなんてとんでもない。そこらの悪漢と口論しても、彼女なら勝てそうだ。引越し挨拶の際、少女は基本的に穏やかだったが、よくよく思い返してみれば『ドアを全力でスカーンと殴る』などと過激な発言もしていたではないか。一応少年が悪漢だからこそ罵倒している可能性に一縷の望みをかけたが、部屋から出てきた少女が少年に親しげに声をかけているのでその希望も潰えた。ほぼ間違いない。柄が悪いのが本性なのだろう。
 近頃の若い子って怖いなあ……。などと思いながらサミはその場をそそくさと離れた。
 あまりかかわり合いになりたくなかったのだ。



 非正規の魔術道具がとある魔術道具店に流れている。その出所を調査しろというのが昨日下った指令である。
 そんなの物理パンチが得意なサミにやらせずに、宮廷魔術師か警衛兵か学院の連中が何とかすればいいのに、と思ったが、宮廷魔術師達はセリンの森の事件で負傷者続出、警衛兵のうち魔術師である者達はセリンの森に連れて行かれて同じ運命に、学院の最大派閥【紫の理の会】はその助力で人手不足、第二派閥【十二真理の盟友】はその魔術道具店が【紫の理の会】の管理区域にあることもあって知らぬ存ぜぬを決め込んでいるらしい。
「【十二真理の盟友】は正気なのかい? 自分の街の話なのにねえ」
 そう首をかしげたサミに、仕事を伝えに来た知人は苦笑を漏らした。
「同じ街に住んでても、所属が違う集団は身内ではなくむしろ敵さ。【紫の理の会】に問題が起こって大喜びだね。これにピンとこない君は、【魔王】になったが故、何処にも所属できなくなってよかったのかもよ」
 力が偏ることを防ぐため、魔王の称号を得たものは国以外の特定の組織に所属できない。そのことに特別不都合も好都合も感じたことは無かったが、確かに知人の言う通りかもしれない。集団に価値観が違う人間が紛れ込むと大抵は問題が起こるものだ。
「まあ、君の話はさておいて、回収された非正規魔術道具は【紫の理の会】に保管されているから見せてもらうといいよ」
「うん、そうする。でも、いきなり行って見せてもらえるものだろうか。部外者は帰れ! とか言われないだろうか」
 先ほど集団の排他意識を解説されたサミは酷く不安になってしまった。
 気弱な言葉に、知人は失笑する。
「君、本当に小心だねえ。国の命令で管理区域の問題をタダで片付けてくれるんだからそりゃ見せてくれるでしょ。後回しにしてるとこから見て、【会】の沽券にかかわるような問題でもなさそうだし、そもそもあそこの方針は体面より金だし。大体さあ、君は魔王なんだよ、マオー。むしろありがたがって拝まれるって。ははーマオウサマーって」
「なにそれ。御伽噺に出てくる悪の大魔王みたいじゃないか」
 サミは自分が崇め奉られている姿を想像してぞっとした。これは知人の冗談であり、実際にそんな扱いを受けることがないことはわかっているが、想像だけでも胃がキューっと絞られるような感覚に襲われる。
「大体、王様でもなんでもないのに、なんで王なんて付いているのだろうね。不遜だよ」
「ミカドウミウシみたいなもんだよ。アレも帝じゃないけどすっごいウミウシだからミカドなのさ。魔力が桁外れに真っ黒な君達も同じ理屈でマオーでいいでしょ」
「何故たとえ話にウミウシなんだよ……」
「おや、お気に召さなかったかい?」
「あたりまえだろ!」
 理屈はわからないでもない。しかし、ぬめぬめ系である。せめてもう少し選択に気を使ってくれてもよいのではないか。世の中には可愛いエンペラーな鳥もいるというのに。サミが顔をしかめると、逆に知人は晴れやかに笑った。
「そりゃ当然、君が嫌がりそうだからさ!」