白花の廻り10 魔法都市

「ああ、魔法都市ディラストね。なんでもさあ、魔法の使いすぎであの辺りの魔法は枯渇して、一日中都市全体が夜に包まれてるって話だぜ」
 そんな噂を聞き、僕は『魔法都市』を目指すことに決めました。
 万年闇の街、それはどんな所なのか、非常に興味をひかれたからです。
 目的地から考えると……結構な寄り道ではあったのですが、好奇心には負けました。
 それに、どうせ『目的地』といったところで、なんとなく設定しただけのそこに、特に用事があるわけではありませんでした。
 僕の旅には、本当の行き先も、帰るところもないのです。
 好奇心は猫をも殺すといいますが、あとから考えてみたところ、どちらかというとそのときの僕は、誘蛾灯に引き寄せられる蛾のようなものだったのかもしれません。
 そう、僕は自覚していなかったとはいえ、ずっと以前から、魔法都市の魔法に魅せられていたのですから……。
 


 実際に魔法都市ディラストに到着した僕は、首を傾げました。
 城壁に囲まれた街に入ると、煉瓦造りの建物が並び、石造りの通りがその間を走っています。ごく普通の人々が行きかうそこは、穏やかな普通の街でした。
 柔らかな陽光に包まれた街は、穏やかな空気に包まれていました。
 見上げてみれば、予定よりも随分とはやく到着したようで、太陽はまだ高い所で燦燦と輝いています。
 そう、陽光―― が射しているのです。

 万年闇の魔法都市。そんな言葉のイメージからは想像もつかない街が、そこにはありました。
 万年の闇は一体、何処に行ったというのでしょうか。
 ただ、空の色は青というより白に近く、それだけが空の変異を物語っているというような、そんな具合でした。ほかにも違和感は多少覚えるのですが、それの正体は僕にはわかりませんでした。
 それに、正体のわからない違和感よりも、噂との齟齬に覚える違和感の方が、僕にははるかに強いものだったのです。
「……?」
 僕が拍子抜けして、所在なげに街門の辺りで立ち尽くしていると、一人の魔法使いが笑いながら近づいてきました。彼は慣れた口調で、楽しげに僕に話し掛けてきました。
「あんたも噂に騙された口かい?」
「……恐らくは」
 ……騙されたのでしょうか。やはり。
 無駄に費やした旅の時間を思い、僕は溜め息を漏らしました。
 目的が無いとはいえ、さすがに無駄足を踏んだとなると、気分が沈むのです。
 ところが、この魔法使いは次の瞬間、自分の告げた言葉を自ら否定したのでした。
「……でもやっぱり騙されてないんだな。この街は噂どおりの万年闇だよ」
 彼の言葉に上空を見上げ見てると、やはり白い空には太陽が輝いています。
 言葉の意味を捉えきれずに僕が首をかしげていると、魔法使いはようやく説明を始めてくれました。

 一通り聞き終わった後、僕はなんといっていいのかわかりませんでした。
「はあ……それは、すごいですね」
 かろうじて、そう口にしたものの、彼の話に実感がわかなかったのです。
 彼の説明によると、実際にこの街は闇に閉ざされているとのこと。
 しかし、その闇を魔法の太陽で明るく照らしているというのです。
 毎朝決まった時間に、この街では毎朝魔法の太陽を打ち上げて闇を照らしているのだと彼は誇らしげに言いました。
「そもそも、今何時だと思っているんだい。あんな真上に太陽が昇っているなんて、普通じゃあありえないじゃないか」
「……それじゃあ、僕の到着が予定より早かったのではなく……」
「あの太陽があの位置から動かねえってこったな」
 実際に彼が告げた時間は、僕が到着を予想していた時間とさほど差のない刻限でした。
 予定よりも早くついたなんて大間違いだったことがわかりました。
 どうやら僕は、何から何まであの太陽に騙されていたようです。
 あの、魔法の太陽に――、そこで僕は大きなことを一つ思い出しました。
「あの太陽も魔法でしょう……? この国は魔法が枯渇して闇に包まれたって聞いたんですが、どういうことなのでしょうか?」
 僕の疑問に、彼は不思議そうな表情を浮かべ、
「あーそんな噂たってんだ。違うんだよ」
 万年闇を肯定した彼は、その部分に関してははっきりと否定します。

「何百年も前にね、三人の賢者が魔法実験に失敗して陽光を遮断するヴェールを空に張っちまったんだよ、この街の真上にね。それ以来この街は真っ暗になっちまったってことさ。大体なあ、魔法なんて枯渇するもんじゃねえしな」
 そして彼は、地面に杖で図面を書き始めました。この街を横からみた様子、街の上空には薄い層を。
 描かれた街の中央部に杖を置いた彼は、勢いよくそれを街の上空の、層の中央部分を示すところまで引きます。
「こうして打ち上げられた太陽はだな。ヴェールに吸収されて、ヴェールそのものが発光し始める。太陽に込められた魔法の分だけ、正確には日没までの十三時間、さえぎられた太陽の代わりにこの街とその周囲を照らすのさ」
 杖の先で彼は層を塗りつぶしました。
「層の下面は、まあそんな風なんだけど、層を隔てた向こう側では……どうなってるかは下からじゃわかんないんだよな」
 描かれた層の向こうに、彼は大きく『謎』と書き付けました。
 確かに、層に遮られた向こうの事は、想像に任すしかなさそうです。発光する層の向こうは地表からでは全く視認できません。
 僕がなるほどと頷くと、彼は描いた絵の上に、杖を突き立てました。
 一瞬で、その絵は大気にとけ、消え去ります。どうやら、絵は魔法で描かれていたようです。
 目を瞠る僕に、彼はやはり誇らしげに笑いました。
「丁寧に教えてくださって、ありがとうございます」
 街のことを教えていただいたお礼を言い、頭を下げると、彼は更に二つのことを教えてくれました。
「万年闇を体感したいなら、日没が一番いいな。宿の窓から見てると面白いぜ。あと、太陽の打ち上げが見たいなら、明日朝街の中央広場に行くといいよ。明日の打ち上げ担当はローだからな。見せろって言ったら見せてくれるはずだ」


 宿をとった僕は、部屋の窓から上空を眺めていました。
 白く明るい空。高い位置に変わらず存在する、魔法の太陽。
 こうして空を見つめている間に気付いたのですが、それは光量に反して優しく、本物の太陽のように目を灼くことがありません。
 あれが本当の太陽なら、こうして見つめている間にも、僕は目を傷めていたと思います。

 ぼんやりと考えをめぐらせていた僕を正気にかえしたのは、突然鳴り響いた鐘の音でした。
 一般的に街中に設置されているような低く遠く響くものではない、透明で涼やかな音色が、街中のいたるところから聞こえてきます。
 まるで音楽といっても過言ではない、美しい旋律でした。
 きっと、これも魔法によるものなのでしょう。
 あらかじめ、日没時間になると鐘が鳴ると聞いていましたので、僕は音色を聞きながら空に目をやりました。
 その様子は先ほどから変わりがなく、僕は内心首を傾げます。
 しかし、
「あ」
 思わず、僕は声を漏らしていました。
 白かった空に浮かぶ魔法の太陽、それが二、三度明滅したと思った次の瞬間、すっと消えうせたのです。
 まるで、今まで存在していたのが嘘のような、幻だったといわれても信じてしまいそうな、儚い最後でした。
 太陽を失った白い空は急速に輝きを失い、真ん中から寝食されるように黒く染まっていきます。
 時間にしてほんの数秒。それだけの時間で、空と世界は闇に沈みました。
「これが、本当のこの街の姿……ですか」
 魔法がなければ完全な闇。
 視界には、闇が生んだ黒しかありません。
 漆黒の深淵に立っているような錯覚に襲われます。確かに、ここは万年闇の街と呼ぶにふさわしい場所であると、僕は実感しました。
 しかし、次の瞬間、僕はもう一度驚嘆の声をもらしました。
 真っ暗だった世界に、明かりが灯ったのです。
 一瞬で、僕がいるこの部屋も含めた、街中に。
 部屋の中を振り返ると、部屋の隅に置かれたランプが煌々と光を灯しています。
 近づいてまじまじと見つめると、その光が炎でないことがわかりました。
 優しい魔法のあかり。小さなミニチュアの太陽が、そこには存在していました。


 翌日。
 夜明け前、正しくは夜明けと設定された時間の三十分前に、僕は街の中央広場を目指していました。
 日がまだ昇らぬ街は真っ暗なはずなのですが、どんな仕組みになっているのか、設置された街灯が僕の歩く早さにあわせてともり、そして通り過ぎると消えていきます。
 この街の特性は『万年闇』ですが、本質は『魔法都市』の方であるのだと、僕はそんなことを発達した魔法の技術に思います。
 正直に言うと、魔法というものは僕には馴染みが浅いものです。
 故郷では不可思議な現象が稀に目撃されることはありましたが、魔法や魔法使いというものの存在が口にされたことは在りません。
 ただ、そっと心に秘めておくべき、小さな不思議な夢物語に過ぎませんでした。
 それは今まで旅してきた、西方都市群やリシューの大河周辺でも大体同じです。
 彼らは魔法というものを使う様子を見せませんでした。存在を認めている節はありましたが。
 東方に向け旅している間『大陸東方、特に北東は違うよ』と聞いたことがありました。その時は何が違うのかわかりませんでしたが、きっとその人は世界と魔法の関係のことを言っていたのだと思います。

 やがて、僕は中央広場と思しき開けた場所に着きました。
 だだっ広い空間の中央に、僕には何だかよくわからない、大掛かりな装置が設置されています。
 近くで見てみたいと思いましたが、僕は先に”打ち上げ担当”のローという人を探すことにしました。
 大切な機械なら、余所者が勝手に近づくことは好ましくないと判断したからです。
 それにしても、昨日あの人の名前を聞いて置けばよかったと思いました。彼は『ローだから大丈夫』だと言っていましたが、彼の紹介であると伝えたほうが、きっとローさんという方にも親切だったはずです。
 装置から距離を取りながら、ぐるっと広場を回り、元の場所に戻ってきた瞬間、僕は声をかけられました。
「よ、おはようさん。やっぱ来たな」
 声の主は、昨日お世話になった魔法使いでした。
 にこやかに笑う彼に、僕は頭を下げます。
「おはようございます。はい、是非太陽が生まれるところを見たかったので。ローさんはまだいらっしゃってませんか?」
 僕が尋ねると、魔法使いは愉快げに笑います。
「ああ、来てる来てる。まあ、実のところ、俺がローなんだ。よろしくな」
 魔法使い、改めローは、自分自身を指し示してそう言いました。
「……騙されました?」
 ローは頷きました。
 僕は、どうやらこの街関連のことでは、騙され通しなようです。
 苦く笑いながら、僕もこたえました。
「僕は、マグノリアです。こちらこそよろしくお願いします」

 広場に設置された装置は、太陽の打ち上げ装置だということです。
 十三本の小さな柱に、取り囲まれた巨大な円柱。
 ローは腰の高さほどの十三の柱に、一つずつ魔法の光を灯していきます。
 杖で触れるだけで、宿の部屋にあったような小さな太陽が生まれていく姿は、興味深くありました。
「僕が杖で触れても光が生まれるわけではないんですよね?」
「ああ、結構技術がいるんだよ、こう見えて」
 ローは軽く答えます。
「学校があるんだけどな。各学年の魔法学科で主席次席とったようなやつしかできない」
 割と人口が多いこの街で、年に二人ほどしか可能な人間が育たないということに驚きます。
「ローさんは、優秀なんですね」
「あ、言ってなかったかな。一応これでも評議会メンバーなんだ」
 この街における評議会というものの位置づけは知りませんが、何にせよローがこの街でかなり重要な立場の人間だということはわかります。
「それに、マグノリアは中央か西方の人だろ。魔法の素質がないだろうなあ」
 ローの言葉に、僕は曖昧に頷きました。
 僕は実際には北の生まれでありますが、西方や中央の人と同じように魔法的な素質がないであろうことは、魔法と縁遠い北の人間もきっと同じなのだと思います。

 話をしている間に、ローは小さな太陽を灯し終えていました。
「急に明るくなるから、気をつけなよ」
 最後に、杖を構えたローが、トンと地面を杖で叩くと、小さかった光が一気に膨張しました。
 強く広場を照らす十三の太陽によって、あたりは真昼のような、いえ、それ以上の明るさになっています。
 本来なら眩しすぎて瞳に害を及ぼしそうな強い光でしたが、やはり何故か優しくて僕は困惑します。
 そんな僕を見て、ローが笑いました。
「すごく明るいけど、穏やかなものだろう。癒しを司る白の魔力そのものだからな。むしろ目にはいいはずだ」
「癒し、ですか」
 彼の説明を受け、光が優しい理由に納得しました。
 ローは言葉を続けます。
「他の魔力を打ち上げると街が灼熱地獄になったり、攻撃的な波動で健康に害が出たりしたから、癒しの魔力に落ち着いたらしいな」
「それは……大変な問題だったんですね」
 僕はしみじみと呟きました。
「当時の文献が残っている。後で読むか?」
「ええ、是非」

 僕とローはそんな風にいろいろな話をしましたが、ローが言いました。
「時間、だな」
 僕は静かにローから離れました。
 やがて、夜明けの旋律が日没と同じように流れ出しましたが、それは耳を澄まさなければ聞こえない程ささやかなものでした。
 ローはその音色にあわせるように、杖を数度地面に打ち付けます。
 すると、十三の太陽たちがすっと動き、中央の円柱の上で一つになりました。
 僕にはわからない不思議な短い言葉をローが歌うと、一度ひときわ強く輝いた光球は、ふわりと地面の束縛から離れました。

 魔法の太陽は天高く発射され、緩々と、おもむろに、光は闇の空へのぼっていきます。
 最初は大きな光球だったそれは、地上から離れ、天に近づくにつれ小さい光点へと化して行きました。
 それはさながら、真白な砂糖菓子のように……、
「あ!」
 思わず叫んだ僕を、ローは訝しげに振り返りました。
 僕はというと、頭の整理をつけていいのか、太陽を見つめ続ければいいのか迷います。
 結局、僕は地図を取り出しました。自作の大雑把な地図ですが、そこそこ正確に記入されてあるはずです。
 指で辿るのは、今いる町と……かつて――随分前ですが、訪れた水路の町……その位置関係は、遠く離れてはいるけれど、まっすぐ北と南。
 恐らくあれは、
「……暁の星」
 北の空で夜明け前の闇を照らす魔法の光……打ち上げられた人工の太陽。夜の闇を祓うために。
「砂糖菓子は世にも珍しい、闇の国の太陽でしたか……」
 かつて出会った少女のことを思い出しながら呟きました。水路の街でともに迷子になった一夜。逮捕されたりもしたけれど、懐かしい大切な思い出が一つ、記憶の奥から浮上します。
 この街の人は、魔法の太陽が水路の街で導きの星として大切にされていることを知らないはずです。
 その秘密を知っていることは……とても素敵なことだと僕は思いました。
 僕の想いを置いてけぼりに、ゆっくりと、でも確実に空の変化は進みます。
 天井に達した太陽は、やがて拡散し、辺りを朝の光で満たしていきました。……光球を核にその光の大半は、薄く薄く、ヴェールに溶け込んでいきます。最後には、太陽自身もヴェールに沈み、強い光球は穏やかな陽光へと変化しました。
「面白かったかい?」
 ローに声を掛けられ、僕は深く頷きました。
 打ち上げの風景も、この太陽が果たしていた遠い地での役割も、
「ええ、本当に……とても、面白かったです」

 僕はその後、滞在中世話になった幾人かの魔法使いに、その事実を物語のように語りました。
 信じてくれたかどうかはわかりません。
 あの街の彼女に手紙で知らせようかと思いましたが、僕は結局筆を取ることが出来ませんでした。
 残念なことに、僕は彼女の住所と名前を知らなかったのです。
 でも、それでもいいか、と僕は思いなおしました。
 この光が魔法の太陽でも、暁の星でも、僕達にとってあの日導いてくれた導きの星であるということには、全く変わりがないのです。
 いつか彼女がこの街を訪れることがあるなら、きっとあの太陽を見てあの明るい笑い声を立てるでしょう。

(2009年10月7日(拍手)~2010年1月4日 / 参考・関連作品:02. 暁の星を見上げて)

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