神殿の奥の一室に、その男達は集っていた。
聖職者らしい純白のローブを纏う彼らは、しかし、それらしき聖性とは対極にあった。抜け目なく光る彼らの目は、権力者の目に近い。
彼らが雑談に興じる中、一人の男が部屋に滑り込む。シンプルな装束は、この部屋に集った者達より立場が下であることを物語っている。
彼は、上座の男の前に跪く。
「報告に上がりました。ユーフォニウムの娘が着いたと、ウェーヴェに連絡がいったそうです」
報告を受けた男達の顔に浮かんだものはさまざまだ。しかしその根底にあるものが、どこか狂気と欲望を孕んだ雰囲気であることだけは、見事に共通していた。
マグノリアとエリカ・ユーフォニウムは、カルミアの街を連れたって歩いていた。
浮かれる少女を、青年が見守り着いて行く、という構図である。
マグノリアの表情はいつも通りのように見えて、僅かに憂心が滲んでいた。
彼はカルミアに入ってから、ずっと視線を感じているのだ。
連れの少女が遠ざかると離れ、近づくと強まるそれは、エリカ・ユーフォニウムに向けられたものだろう。
幼い少女に何故監視じみた者が付いているのか、マグノリアにはわからない。もしかすると、この町にいるという彼女の父親が関係しているのかもしれないが、詳細を聞いていないので断定は出来なかった。
店を離れられないのでエリカの面倒を見てくれという、デイジーの頼みを引き受けてよかったと彼は感じていた。
監視に害意があるかはまだわからないが、このような状態で少女を一人にするのは、不安が大きすぎる。
彼は、エリカを任されるまでの信用をデイジーから得るきっかけとなった、故郷の名残である剣に感謝を捧げる。
「マグノリアさん、どうしたの?」
物思いに沈み、足を止めたマグノリアの元に、先行していたエリカが戻ってきた。
彼女が近づくとやはり監視の気配は強くなる。マグノリアはそれをエリカに悟らせまいと、露店の一つを指差した。
「あそこのお店で、鳥の置物が売られているんです。先ほど飛んでいたローチカオオハクチョウもいるみたいですよ」
「え……? わあ、本当だ!」
エリカは楽しげな様子で、店に駆け寄る。遅れないようにマグノリアもそれに続いた。
店先には彼が言ったように、色とりどりの、様々な種類の鳥が並んでいた。
「かわいい!」
本物の鳥よりも、多少丸みが誇張された鳥たちの姿に、エリカは弾んだ声を上げた。
二人に対し、店番の少年が愛想良く笑う。
「いらっしゃい。よかったら、手にとって見てってよ」
少年の言葉に甘え、マグノリアはオレンジ色の鳥を手にとった。
小さな鳥の置物は、見た目よりずっと軽い。
「着色した葉を編んで作られているみたいですね。ほら、ユウヒドリの模様がちゃんと再現されてますよ。良い仕事です」
エリカに見せながらマグノリアが説明すると、
「おお、お兄さん、よくわかってんね!」
店番の少年が、満面の笑みを浮かべた。
「可愛いって見てってくれる人は多いけど、種類と特徴がわかるお客さん、あまりいないんだ」
「街暮らしなら、あまり必要のない知識ですからね。……僕の場合はこちらにきて、最初に調べたのが動植物のことでしたから」
マグノリアがぽろりと零した言葉に、少年が食いついた。
「言葉もちょっと訛ってるし、白い髪も珍しいし、もしかしてお兄さん、東方魔法領域とかから来た旅の人?」
少年の質問を、マグノリアは曖昧に笑ってごまかした。この大陸中部地域で大陸北部にある彼の故郷について話しても、大抵ふざけていると思われるからだ。
大陸を二分する中央山脈の北側に、世界が続いていることを知る者は少ない。更に、その国と文化を知り、信用を寄せてくれるデイジーのような者が稀なのだ。
このリシュー流域地方で、それを知っている者がどのような者なのか。それを察しているマグノリアは、薄々デイジーの出自に気づきつつあった。
店員とマグノリアの会話についていけないエリカは、鳥を一羽手に取った。
二人の会話を聞く限り、この鳥たちは空想の鳥ではなく、実在する種類のようだ。
しかし、エリカに名前がわかる鳥は一羽しかいない。彼女が手に取ったのはその鳥だ。
「ローチカオオハクチョウ」
愛らしく変形されてなお、周囲の鳥よりも一回り大きい。顔はすっと鋭く、可愛いというよりも格好良いと言うべきかも知れない。厚みがあり、重量感を感じる体躯は、空を飛んでいたときの優美な印象と少し食い違っていた。
好みで言うと、台の隅でちんまりとたたずむ褐色の小鳥の方が好きだ。
エリカはローチカオオハクチョウを台に戻し、小鳥を手に取った。
「この鳥が可愛いなあ」
エリカの目元が和む。
そんな彼女に、隣から声がかけられた。
「その鳥、僕の故郷では春告鳥っていうんですよ。彼らが鳴く事で、僕らは春の訪れを知ることが出来ました」
エリカが気に入った鳥は、連れにとって曰くつきの鳥だったらしい。
そのことに気を取られた彼女は、マグノリアが何処か遠くを見て、哀しげな色を過ぎらせたことには気づかなかった。
エリカとのやり取りの中、不意に故郷への郷愁に駆られたマグノリアは、それを振り払うように店員に声をかけた。
「この鳥、おいくらですか?」
「ああ、ウォーブラね。まいどー」
言われたとおりの金額を支払ったマグノリアは、エリカに向き直った。
「よろしければその鳥、お土産に受け取ってください」
それは、故郷の鳥を気に入ってくれたらしき少女に対する仄かな好意だった。
マグノリアの押し付けにも近いので、断られる可能性も彼の中にあったが、エリカは素直に受け取り、嬉しそうに笑った。
「嬉しい。ありがとう」
「いえいえ」
大切そうに鳥を鞄にしまうエリカを待つ間、マグノリアは再び店員に話しかけた。
彼の視線は店員の背後、聖句を口にしながら歩み去る女性達に向けられる。
「それにしても、本当に大きなお祭りですね。今まで色々旅してきましたが、このような雰囲気ははじめてです」
山脈沿いの観光都市フェルエンや、大陸最大規模を誇る大河沿いの都市リシューも活気があるが、神聖さやその対極にある商業色が複雑に渦巻く聖都カルミアは、独特の熱を帯びている。
「ウェーヴェが取り仕切るようになってから、宗教色と商業色の兼ね合いがついてこんな雰囲気になったったんだよなあ。うろ覚えの十五年前は、ただの商業祭だったけど」
「ウェーヴェ、ですか」
マグノリアはその名に引っかかる。どこかで聞いたような気がしたからだ。
首をひねる彼に、少年は苦笑した。
「聞いたことはあるんだろ。神殿のトップ、ジギト・ウェーヴェって」
「……ああ」
それは、エリカが父親の元上司だと言っていた名前だった。
「ウェーヴェさんってどんな人なの?」
訊ねたのはマグノリアではなく、鳥をしまい終えたエリカだ。
エリカと父親の面会はその人の管轄らしい。父が幽閉された事件の中、その人はどんな立ち居地だったのだろう。どんな人なのだろう。彼女の中にあったのは不安まじりの好奇心だ。
マグノリアもまた、少女についた監視のことで、彼の人となりには興味があった。ウェーヴェという者がエリカの味方なのかどうか、判断するための材料が一つでも欲しかった。場合によってはデイジーに警告せねばならない。
二人に視線を向けられた店員の少年は渋面を作った。
「どんな人って……なあ」
彼は肩を竦める。
「ジギト・ウェーヴェについては、人によって結構言うことが変わるんじゃないかな。俺はあまり良い噂は聞かない。一番有名なのは、親友を無実の罪で陥れ、自分が神殿の頭におさまったってやつだな」
「それは……」
予想外の黒い話に、マグノリアは言葉を失った。
エリカも息を呑み、黙り込んでしまう。
「なんだっけ。ユー……、そう、ユーフォニウムがその頃失脚したから、この噂が信憑性を帯びたんだよ。まあ、俺は商人だから、そっちの筋で聞いた話だよ。そんな噂があっても神殿はウェーヴェを頭に据えてるんだ。聖職の方は別の見解があるんだろ」
所詮噂、鵜呑みにはするな、そう締めくくる少年が、突然ぎょっとした表情を浮かべる。
「お、おい、どうしたんだ。真っ青だぞ?」
彼の手は、エリカに気遣わしげに伸ばされた。
少女の顔を覗き込んだマグノリアは表情を硬くする。少年の言葉の通り、エリカは酷く顔色を失っていた。
「すみません、彼女が体調を崩したようなのでそろそろ失礼します。お話ありがとうございました」
口早に告げるマグノリアに、少年もまた慌てたように頷く。
「ああ、お大事にな。宿が遠いなら、直ぐ近くの湖畔公園に椅子があって休めるから行ってみな。お兄さんもあんま顔色良くないし、気をつけろよ」
エリカを支え、店から離れるマグノリアは、彼女の急変の理由に心当たりがあった。
陥れられたというユーフォニウム。その名がエリカの家名と同じだったからだ。
ウェーヴェとユーフォニウム。店員が語ったその二人が、エリカの父とその上司本人である確証はどこにも無い。だが、全くの無関係だとは思えなかった。
エリカとその父の再会は、マグノリアが思っていたより、もっと何か暗い事情が潜んでいることなのかもしれない。
監視に気づいてからそんな予感がマグノリアの胸中に燻りはじめていたが、それはどうやら現実味を帯びてきたようだった。
(2013年9月03日/指ハブみたいな感じの。)