白花の廻り07 遠い記憶

 カルミアの大祭。
 それは五年に一度行われる、由緒正しいいわれがあるお祭りらしい。
 各地から、祈りのためにたくさんの人が訪れるという話。
 だけど、そんな趣旨に関係なくお祭りに参加する者もいて、というより、その方が多いかもしれない――わたし、エリカ・ユーフォニウムもその一人。
 大きなお金が動くとか、家族で観光とか、お祭りの成り立ちに興味がない人たちが集まる理由にも色々あるのだけれど、とりあえずわたしの目的は、今あげたもののどれでもなかった。

 お祭りの舞台となる商業都市カルミアは、大河の国リシュアルとわたしが住んでいる西方都市群の間に存在する、流通の要なんだって。元々は敬虔なる信仰の街だったけど、リシュアルと西方都市群を相手に商売をはじめて商業都市として成り上がったって、一緒にカルミアに向かっているデイジーおばさんが言ってた。わたしはあんまり詳しくは知らないし、よくわかんなかった。とりあえず聞いたことを丸暗記してるだけ。
 カルミアに向かう途中、同行することになったマグノリアさんも、さほど祭りのいわれには興味がないみたいで、のんきに『どんなお祭りなのか楽しみですね』なんていってた。
 この、マグノリアさんがまた変な人なんだよね。
 職業は……旅人なんだと思う。着込んでるのが旅装束だから。年齢はちょうど成人したくらいに見えるお兄さんだ。
 言葉はなまりがあって、まあ、地方出身の人なんだなあと思うんだけど、なぜかいつでも丁寧語で喋る。わたしみたいな子供相手にもそれは全く同じで、丁寧すぎてなんだかちょっと不思議な感じ。
 更に言うと、見た目は人が良さそうなお兄さんなんだけど、下げてる剣は旅人の護身用というには……ちょっとモノが良すぎるんじゃないかな。無駄に高いのを断りきれずに売りつけられただけかもしれないけど。
 いつも穏やかに笑っているか、困った表情をしているかどっちかで、怒ったりしてるところは見たことがない。第一印象は満場一致で押しの弱そうな人。マグノリアさんはそんな人だった。

 まあ、そんなこんなで、わたしと謎の旅人マグノリアさんと、馬車の主のデイジーおばさんはカルミアを目指しているのだった。
 おばさんはお母さんの知り合いで、五年に一度の祭りに参加する商売人だ。この馬車には露店で売りに出す商品が沢山積まれている。
 大切な商品と赤の他人二人を一緒に運搬して心配じゃないのだろうか。盗まれたり、ほか色々ありそうじゃない。
 街道脇での休憩中に、わたしはデイジーおばさんにずばり聞いてみた。わたしとおばさんは面識があるのでまだマシだけれど、マグノリアさんにいたっては街道を歩いてる所をおばさんが拾った全くの見知らぬ人だ。
「わたしと、マグノリアさん胡散臭くない?」
 なんて失礼なことを、本人の目の前でぶっちゃけて聞いてみると、意外にもおばさんだけじゃなくてマグノリアさんまで笑い出した。
「その木箱に詰まった生の林檎をマグノリアくんが担いで逃げるなら、むしろその姿をわたしは見てみたいね」
 おばさんの言い草に、その光景を想像したわたしもふきだした。それ、凄まじく似合わないから。
 マグノリアさんも笑いながら、「面白そうですけど実演する気はないですからね」なんて言って、それがあまりにもおかしくて三人でたくさん笑った。
 その後、おばさんは色々説明してくれた。林檎は処分品で、盗んでみた所で見た目も味も加工しなければとても売れないとか、その特別な加工方法はデイジーおばさん秘伝の方法だとか、そもそもこんなものは祭りに浮かれた空気の中でしか売れないとか。
 でも、それは盗んだりつまみ食いした人が結果的に途方にくれるという根拠にしかならないんだけど。盗みたい人は盗んじゃうんじゃないかなあ。
「そんな風に心配してくれるエリカちゃんを疑ってなんていないさ。信用できない子ならいくらあんたの母さんに頼まれても、最初から街に置いてきたね」
 そう言って、頭をなでてくれる。なんだかとても嬉しかった。
 マグノリアさんはにこにこしている。
「そんで、マグノリアくんは……」
 おばさんはマグノリアさんをちらりと見た。わたしもつられて見てみる。
 わたし達に見つめられたマグノリアさんはにこにこを固まらせて一歩引いた。
「悪いことしてたら、エリカちゃんが知らせてくれるだろう?」
 デイジーおばさんがにやりと笑う。
 わたしはこくんと頷いた。

 馬車はまた走り出した。
 わたしとマグノリアさんは、荷台に後ろ向きに座って遠ざかる景色をのんびりと眺めていた。小さくなっていくその方向が西。
 空は抜けるように青い。遠ざかっていくあの山のあたりが、きっとわたしの住んでる街のあたりなんだろうなあ。
 道の脇に植えられている植物は、今は季節が違うから緑色だけど実がなる木だ。そのうちきっと綺麗に色付くのだろう。
 他にもお祭りに向かう人が大勢同じ方向に向かっている。
 色々な物を眺めながら暇つぶしにぽつぽつとお話をしているうちに、わたし達の話題は、お祭りに行く理由になっていた。
「マグノリアさんは観光に行くの?」
「ええ、特に目的のある旅じゃないですから観光旅行みたいなものです。お祭りを見る目的も『面白そうだから』ですね」
「ええー」
 なんだか大人なのにいい加減だ。
 わたしは少しあきれてしまった。
 それと同時に、少し心配にもなってくる。
「そんなので、どうやって食べてるの?」
 路銀にも限りがあるんじゃないかなあ。疑問に思ったわたしは、またまた失礼なことをズバリと聞いてみた。
 マグノリアさんは特に嫌がることも無く教えてくれた。
 なんでも昔取った何とかで薬が作れるので街でそれを売ってるとか、一応たまに護衛みたいな仕事をしてみてるとか。
 ……護衛?
 わたしはマグノリアさんの剣を見た。しっかりとしたつくり。素人のわたしにでも、向かいに住んでるユッカ兄さんが護身用に持ってるような剣とはモノが違うことがわかる。
 まじまじと見つめ、それから、視線を上げてマグノリアさんを見た。あんまり強そうじゃなかった。
 わたしの視線の意味を悟ったのか、その眉が困ったように下がっている。
「……まあ、こう……ね……」
 あんまり剣の腕には自信が無さそうな感じ。
 誤魔化すように、彼は剣を持ち上げてわたしによく見せてくれた。
 デイジーおばさん曰く、その剣は北の国の人の身分証明になるってことらしい。
 剣が無ければデイジーおばさんはマグノリアさんのことを街道に放って置いただろうということだった。
 首をかしげていると、マグノリアさんは鞘と束の装飾を色々指差して、この部分があーだこーだと説明してくれたけどさっぱりわからない。
「北の国ってフェルエンのこと?」
 わたしが知っている北の果て、つまり世界の果ては観光都市フェルエンだった。
 マグノリアさんは眉を下げて首を振る。
「いいえ、もっと、もっと遠くの国ですよ」
 その瞳を過るものに見覚えがあった。

 これは、突き詰めて聴いてはいけないことだ、と察した。お母さんが聞かれたくないことを聞かれた時に浮かべる表情にそっくりだったから。
「そっか、じゃあきっと魔法領域の北部のほうなんだ」
 世界を三等分する、西方都市群、リシュー流域、そして魔法領域。マグノリアさんの言葉は西方都市群の訛りではなく、かといってフェルエン出身でもない。じゃあ全然知らない魔法領域しか残っていないから、だからきっとそうなんだということにしておこう。
 わたしはマグノリアさんが拾われた訳の方に話を戻した。そして、説明を聞いているうちに、マグノリアさんがデイジーおばさんに拾われた際、護衛として雇われていることが判明したのだった。
 どうやらわたしはデイジーおばさんに担がれていたらしい。
「えー、早く言ってくれればよかったのに」
 あの泥棒談義ってなんだったの?
「わたしマグノリアさんを胡散臭いって言っちゃったよ」
 まあ、胡散臭いと思ったのは自分自身に対してもそうなんだけど。
「いえ、胡散臭いのは本当ですよ。まさか国も亡き今、これだけで信用を得られるとは自分でも思ってませんでしたし」
 なんだか困った表情をしているマグノリアさん。
 まあ、こうやってお話してても悪い人じゃないってのはわかるし、おばさんの判断は間違ってないと思う。
「ごめんね」
「いえ、お気になさらず」
 にこにこと変わらない笑みを向けてくれたので、わたしはとりあえず胸をなでおろした。

 それから、今度はわたしがお祭りに参加する目的を話した。
「わたしはお父さんに会いに行くの。五年ぶりだよ」
 わたしのお父さんはカルミアの街の聖職者だったんだけど、悪いことをしてカルミアの街に捕まっている。本当は悪いことをしたんじゃなくて、派閥争いの煽りを受け、でっちあげの罪で捕まったってお母さんは言ってた。
 普段は会うことが出来なくて、五年に一度のお祭りの日だけ家族との面会を赦されるんだって。
 お母さんが一緒にこなかったのは、お母さんもその派閥争いに関係があった人なので 、カルミアに行くのはあまりよくないんだって。
 この話をするときこそが、お母さんが浮かない表情を浮かべる時だった。きっといっぱい言いにくくて嫌なことあったんだろうな。
 そんなお母さんからはお父さん宛に、
 『つかまりやがってこのカイショーナシ。情勢が変わって出てこられるようになるまでずっと待ってるから首洗って覚悟しとけ』 って伝言を預かってる。
 あんまり大きな声でいろんな人に話すようなことでもないので、マグノリアさんへの説明は大分端折ってしまった。
「正直、お父さんって言われても全然ピンとこないんだけどね……」
 吐息を漏らす。
 前に会ったのは六つの時のはず。
 でも、遠い記憶はおぼろげで、顔も声も何も思い出せない。
 お母さんに抱いているような家族だという実感は、その人に対してはほとんど無かった。
 その人は、わたしにとって、とても遠い人だった。
「それでも、エリカさんはお父さんに会いたいですか?」
「エリカでいいよ」
 年上の人に『エリカさん』って呼ばれるのはなんだか変な感じだったから訂正した。今まで何度か言ってみたけど相変わらず『エリカさん』だから多分今回も直らないと思うけど。
 会いたいのか、という質問には答えられなかった。よくわからないのだ。
 答えないままわたしは、かばんの中から紐でまとめられた紙の束を取り出した。それは手紙だ。古いのから新しいのまでとてもたくさん。
「お父さんが送ってくれた手紙」
 沢山だけど、これでもほんの一部だったりする。手紙は毎月欠かさず送られてきたから。
 内容は短く、わたしの健康を気遣ったりしてくれたり、わたしがたまに出す返事のお返事をくれたり、そんな些細なものだ。庭に咲いた花を押し花にして送ったら、その花の名前と花言葉を教えてくれたりもした。
 綺麗に整った文字から、なんとなく生真面目な人なんだろうなあとうかがうことが出来る。
 面白いのは、わたしがまだ文字を覚えたての頃に送ってくれた手紙には、子供でも読めるような簡単でわかりやすい言い回しを使ってくれてたこと。わたしはその簡潔な内容の中に、不器用そうだけど気遣いのある、優しそうな人柄を見ていた。
「会いたいんですね」
 手紙を見つめるわたしに微笑みかけるマグノリアさんの声は凄く優しかった。
 わたしは頷いた。
 お父さんと言うか、この手紙をくれた記憶の向こう側の人に、わたしは会ってみたかった。

「マグノリアさんはお父さんのこと覚えてる?」
 彼は、少しだけ遠くを見てから、微笑んで頷いた。
「ええ、よく覚えてますよ」
 少し、羨ましい。
 正直に言うと、一緒に暮らせない、遠くにいる、存在さえ曖昧なお父さんに不満は一杯あった。
 近所の子がお父さんと遊んでるのを見ると、特にそれを強く感じた。お母さんはお父さんが大切そうだったから、それを口に出したことは無かったけれど。
「マグノリアさんのお父さんってどんな人?」
「…………」
 彼は、口ごもってしまう。
 あれ? なんでだろう?
 聞かれたのを嫌がっている風ではなかった。ただ言葉をさがしているようだった。
 じっと見てると、視線をそらしたマグノリアさんは、ぼそりとこういった。
「……父は愛情表現が苦手で、かつ、過激な人でした」
「……そうなんだ」
 過激ってどんなんだろう。
 気になったけど、マグノリアさん、これを言うだけであんだけ悩んだんだもん。それ以上は説明しづらそうだったので聞かないことにする。さすがに嫌がられそうな予感もするし。
 かわりに、わたしは自分の不安を吐き出した。
 色々話しているうちに誤魔化し切れなくなってきたそれは、わたしの中から徐々に漏れ出し、途切れ途切れの言葉となっていた。
「ねえ、わたし、お父さんに会った時、ちゃんとお父さんって呼べるかな?」
 わたしの声は、自分で思っていたよりもはるかに弱弱しく、頼りなかった。
 ――お父さん。
 繋がりは感じるけれど、遠い記憶の中、曖昧な形しか残らなかった人。
 手紙の中にその姿を求めるしかなかった人。
 そんな人を、わたしはちゃんと家族と呼べるのかな。
 『手紙の人』に親しみを覚えるけれど、『手紙の人』を家族と思えるかどうか自信がなくて。
 会った時、お父さんをがっかりさせるかもしれないことも、がっかりさせられるかもしれないことも、怖かった。
 何故わたしは、お父さんのことを忘れてしまっているんだろう。
 縋るような視線をマグノリアさんに向けると、黙って頭を撫でられた。
「…………」
 誤魔化されたかもしれない。
 でも、わたしだって分かってる。こんなこと聞かれてもマグノリアさんには答えようがないってこと。
 ただ、吐き出した不安をとがめるでもなく、ただ黙って聞いてくれて、それからぬくもりをくれたことだけで、わたしは満足していた。
 なんだか意識が重くなってきて、そういえば、昨日は不安と緊張であまり眠れなかったのを思い出した。お話の途中だけど、ちょっと寝ちゃってもいいかな?
 視線で訊ねるとマグノリアさんは頷いてくれたので、わたしはそのまま眠気に意識を任せることにした。


 お母さんとわたしは、見知らぬ男の人と一緒にいた。
 今より若いお母さん。男の人は静かで、穏やかそうな人だった。
 お母さんと手をつないでいたわたしが、もう片方の手を男の人にのばすと、男の人は優しく笑って頭をなでてから、その手をとってくれた。暖かくて、優しい、包み込んでくれるような手だった。
 ああ、これは、忘れてしまった遠い記憶なんだ。
 そう思いながら、わたしはぼんやりとした意識の中で確かな手のひらの感触を感じていた。
 その人にわたしは呼びかける。
 夢の中のわたしが、その人のことをちゃんと呼べてる事に安堵して、わたしはそのまま意識を闇に沈めていった。


 夢を見ていた。
 ――てのひらの、感触。
 夢の残滓はわたしの中にとどまり、失ったはずの遠い記憶の欠片を残してくれていた。
 ふとわたしは、聞きなれない喧騒の中にいることに気づいた。
 そのざわめきは、街道の賑やかさとは何か趣が異なるもので、寝ている間に夢の向こう側に迷い込んでしまったのではないかと、何となく不安になる。
「おはようございます」
 ぼやけた視界の中、林檎の木箱を担いだマグノリアさんが声を掛けてくれて、わたしはちょっと安心した。
「おはよう」
 馬車は止まっていた。眠い目をこすっていると、デイジーおばさんがわたしが目覚めたことに気づいて荷台の方にやってきた。
「ああ、目が覚めたんだね。カルミアについたよ」
「え!? もう!?」
 驚いた。一気に目が覚める。
 そんなに寝てたのかな、わたし。
 周囲を確認しようと、慌てて立ち上がろうとしたけど、寝起きの身体はちゃんと動かずにへたりと座り込んでしまう。
「どうぞ」
 そんなわたしに、箱を置いたマグノリアさんが手を差し伸べてくれた。
 夢の中の人の手と、イメージが重なった。
 ありがたく、私はその手につかまる。
 その手のひらは、大きくてあったかいのが夢の中の手と同じだったけど、意外に硬くごつごつしていて、このときようやく彼が剣を使う人なんだってことが実感できた。

(2009年04月18日 別サイトより転載)

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