記憶の箱庭5.争いの結末

 【浮遊監獄】から脱出したローナフェレトは、東都を目指した。
 途中で空腹と渇きが完全復活するという危機に見舞われ、仕方なく草を食み、疲れも強く出始め何度も倒れた。しかし彼は休みもろくに取らず歩き続けた。その甲斐もあって、半日よりも早く東都についた。
 屋敷にたどり着いたローナフェレトは酷い風体になっていて、一日ぶりの我が家を懐かしむ余裕など残ってはいなかった。



 帰宅したローナフェレトは、庭の隅で水を飲みながら信じられない話を聞いた。

「は? アルークが斬られた? フォル兄上が謹慎処分? 一体どうなってるんだ?」

 アルークとはエアルディークの字である。
 ローナフェレトは水を用意させた兵士に更に話を聞こうとしたが、兵士は不確かな噂しか知らないからと、口を割らなかった。
 不在の間、いったい何が起こったのだろうか。混乱を覚まそうと残った水を頭から被るが、思考が明瞭になるとかえって状況の不可解さが浮き彫りになり、困惑を深めることとなった。
 とにかく誰かに話を聞こうと屋敷に目を向けた瞬間、主の帰還を知りローナフェレト付きの侍従が飛び出してきた。
 息を切らせ駆け寄ってきた初老の侍従は、目に涙を浮かべローナフェレトの手を握った。

「ああ、坊ちゃま、良くぞご無事で」
「あ、うん、ただいま。見てのとおり私は無事に帰りつけたんだが……。不在の間、何が起こったんだ? 兄上は?」
「そうですね……。気を確かにお聞きください」

 主不在の間の事情を侍従が要点をかいつまんで語る。
 それを聞くローナフェレトの表情が、どんどんと暗いものになっていく。最終的に、彼はがっくりと肩を落とし呻いた。

「……フォル兄上、なんと愚かな……」
「そう仰いますな。フォルレート様は、坊ちゃまが心配だったのですよ」

 侍従がフォルスフェレトの字を呼び、微笑を浮かべた。
 ローナフェレトも、戻し損ねた柄杓を弄びながら苦笑する。

「いや、それは疑ってはいない。いないのだが」

 ローナフェレトが【浮遊監獄】に飛ばされた直後、エアルディークの行いは発覚した。
 【浮遊監獄】の鍵を使い弟を排除したエアルディークの行いは父の逆鱗に触れた。
 侍従も詳しくは聞かされていないが、どうもウェインリートにとって【浮遊監獄】は争いの外に置かれるべき場所らしい。
 この時点で、エアルディークは謹慎を命じられることになった。
 己の姦計で排除したなら、例え暗殺であってもお咎めはなかった。優越感に浸り、証の行使にはやったことが、エアルディークの敗因であった。
 さらに話を聞くと、事前通告を受け勝利を確信したエアルディークが勝手に鍵を持ち出したらしきこともわかった。このこともエアルディークが家督争いから脱落する大きな一因となったようだ。
 奸智に長けたエアルディークだったが、最後の最後に墓穴を掘ったらしい。彼もまだ若かったということだろうか。
 これにより時期当主に最も近い者はフォルスフェレトとなったが、屋敷内を探せども探せどもフォルスフェレトは見つからない。ようやく見つかった彼は街にいた。家督争いなど放りだしていなくなった弟を探していたのだ。
 そして、エアルディークの行いとその結果を聞いた彼は激怒し、家に駆け込みエアルディークを切り捨てた――ということだった。

「何故そこで斬ろうと思ったのだ。本当、どうすればいいのだ。いや、もうどうしようもないのだが」

 全てはローナフェレトが居ぬ間に終わったことである。
 ローナフェレトは聞きづらいことを恐る恐る口にした。

「……なあ、アルークは生きてるんだよな?」
「ええ、フォルレート様は手加減されたようで、アルーク様はいたって軽傷であられました」
「それはよかった……」

 良くはなかった。家督争いの末、白昼堂々兄弟間で刃傷沙汰。大醜聞である。
 ウェインリート家において身内での暗殺は度々起こるが、過去の記録をみてもここまで堂々と血が流れたのはこの件だけだ。フォルスフェレトとエアルディークは後世まで汚名を残すことになるだろう。
 思えば、街中を走っている時、ローナフェレトは注目を浴びていた。あれはボロボロの領主の息子が珍しいからだと思っていたが、この件が既に知れ渡っていたからではないだろうか。
 ローナフェレトが目で問うと、正確に読み取った侍従は苦笑で答えた。
 フォルスフェレトの凶行の直後、屋敷の内外大騒ぎになり、あっという間に話は民衆に広まっている。
 東都カレルは既にこの噂で持ちきりである。

「とりあえず、身なりを整えて父上に挨拶に伺おう……」

 【浮遊監獄】で奇妙な構造に悩まされた時と同じくらい、ローナフェレトの胃が痛んだ。



 質実剛健を絵に描いたような簡素な部屋で、ローナフェレトは父――ウェインリート家当主と対面していた。
 壮年の大男はどこか疲れた様子を見せている。フォルスフェレトとエアルディークの諍い、そしてローナフェレトの失踪は彼に心痛を強いていたのだろう。

「よく戻ったなロナレート。……記憶の箱庭に変わりは無かっただろうか」

 当主に問われ、ローナフェレトは冷や汗を流した。
 入ったときは特に変わりはなかったはずだ。あったならイアリークが何か言っていただろう。
 問題は出るときだ。ある意味、大きすぎる変化が起こっている。

「イア……イークが、管理人を名乗る少年が帰りたがっていたので、一緒に外に出ました」

 ローナフェレトは己のしたことを素直に告げた。
 当主の眉がぴくりと動く。
 叱責を予感したが、当主はどこか穏やかな表情で呟いた。

「そうか、あの方がようやく草原にお帰りになったか……。ロナレート、お前、彼の名前も得たのだな?」
「え、ええ……」

 字どころか、真名まで。
 ローナフェレトの返答に、当主が深いため息をついた。

「アルークとフォルレート両方がやらかしたときはどうなるかと思っていたが、これも運命なのかもしれん。まさか何も知らぬお前が、ウェインリートの誓いを果たすことになるとはな。いや、何も知らぬからこそ、形骸化しつつある誓いを果たし、彼を解放することが出来たのか……」

 勝手に納得した様子の当主に、ローナフェレトはなんとなく嫌な予感がした。どこか逃げ出したいような気持ちを抱えながら次の言葉を待つ。
 やがて当主が厳かに告げた。

「ローナフェレト・ウェインリート・カレルファス。ウェインリート家次期当主、ならびに東方次期領主はお前だ」
「はあ……?」

 言葉の内容を、ローナフェレトは理解できなかった。思わず奇妙な声を上げたが、とがめられることはなかった。
 徐々に告げられた内容を理解するにつれ、ローナフェレトの顔色が悪くなる。冷たい汗が頬を伝い、落ちた。

「お、お待ちください。私には荷が重過ぎます。私がなんと呼ばれているかご存知でしょう?」
「焔猪だな」

 東方人らしく真っ赤な髪を持ち、物事を単純といっていいほど簡潔にとらえる性質を揶揄されたローナフェレトの異名である。今まで全くありがたいと思ったことがなく、自ら名乗ったこともなかったが、この件をかわすためになら、持ち出すことも厭わなかった。
 しかし、当主は重々しく首を振る。

「ロナレート。お前は確かに単純で賢くはないが、馬鹿というわけでもない。物事を整理してとらえ、取捨選択の思い切りが良いだけだ。補佐をつければどうにでもなるだろう。それにだ。白昼堂々弟を殺そうとした馬鹿どもを選べるわけがなかろう。民達の反発を呼ぶ」
「それは、私にも理解はできますが。……お待ちください。民の間では、アルークの行いも噂になっているのですか?」

 エアルディークは屋敷の中でひっそりと事を起こした。本来市井には噂など伝わらないはずである。
 当主が苦々しい表情を浮かべた。

「フォルレートの馬鹿が、街中お前を探し周り、更には屋敷に戻る際喧伝したからな。『アルーク、ロナを殺したな。ロナ、兄が仇を討ってやる』だったか。屋敷にまで届いていたぞ。実際にはお前は生きていた。しかし、ボロボロの状態で街に戻ったお前の姿を見たものは、確かにアルークがお前に危害を加え、草原に捨てたと信じただろう」
「…………」

 事実とはわずかに違う筋道が、そこに出来上がっていた。
 弟を害された兄の復讐物語、弟の奇蹟の生還による大団円。正に東方の民に好まれる物語だ。
 ウェインリート家が否定したとしても、民衆は華々しく飾り立て好きに伝えていくだろう。こそこそと隠れて戻ればよかったと思っても後の祭りである。

「まあ、フォルレートが喧伝せずとも、鍵を争いに使ったアルークを指名することは絶対に有り得んがな」

 民衆心理に納得し、兄に逃げ道をふさがれ、更には自分の行いに首を絞められたローナフェレトは、嫌々ながらも折れた。

「そ、その任、拝命致します……」

 跪き、告げられた言葉に当主が頷いた。



「フォル兄上。愚かな真似をなさいましたな」
「ロ、ロナの亡霊か!?」

 ローナフェレトが怒り任せにフォルスフェレトの部屋をあけた瞬間、魂が抜けたかのように呆けていた部屋の主ははじかれたように飛び上がった。
 熊のような大男が跳ねる姿に、ローナフェレトはこめかみを押さえる。実に兄らしい反応とは言えた。しかし、あまり褒められたものではない。

「亡霊ではありません。きちんと生きたローナフェレトです。ただいま帰りました」
「よ、よかった……。良く無事に帰ったな、ロナ!」
「何がよかったものですか。衝動でアルークを斬ったりなどせねば、望んでいたものが手に入りましたのに。結果、補佐役の弟などに掠め取られることになってしまうとは、悔しくはないのですか」
「お前が選ばれたのならば悔しくはないな」

 フォルスフェレトが目元を和ませながら、力強く断言した。
 その言葉に微塵も揺らぎを見出すことが出来ず、ローナフェレトは動揺した。
 権力を目指せる場所に生まれながら、大望を抱かず兄の補佐に徹するローナフェレトは周囲からつまらない男と評価されていたが、実のところフォルスレフェトも同類であったようだ。
 良く良く振り返れば、弟がいなくなった時点で家督争いを投げた男である。彼にとって権力とはなんだったのだろうか。
 そんなローナフェレトの疑問を読み取ったのか、フォルスフェレトが照れた様子でつぶやいた。

「そもそも、私がその椅子を目指したのは、お前に腹いっぱい食わせるために、南部湿原の水田開発を進めたかっただけだからなあ」

 意外な言葉に、ローナフェレトが瞠目した。

「……私のため、ですか?」
「いいや、私自身のためだな。腹いっぱい食べる笑顔のロナを見たかったんだ。生産量が増えればその分手に入れやすくなるだろう。お前、アルーク母子の嫌がらせのせいで、そんなひょろひょろに育ってしまったからなあ。なんとも嘆かわしい……」

 見当違いのことを嘆き目頭を押さえるフォルスフェレト。実際異母兄のせいで飢えることもあったが、それはフォルスフェレトも同じだ。むしろローナフェレトに食べ物を譲っていた彼のほうが栄養が足りなかったはずだ。そんな兄はウェインリート家のものらしく筋骨隆々に育っている。ローナフェレトの体格はただ、母方の一族に似ただけである。

「まあ、お前はもう困らない立場になったんだ。私は満足だ」

 自分のためだとフォルスフェレトは言ったが、彼の満足の基準にあるものはすべて弟のことだ。結局のところ、フォルスフェレトがエアルディークを斬ったことも、ローナフェレトが原因といえる。
 ローナフェレトの中に最早怒りは残っていなかった。
 そもそも彼の怒りとは、兄の目指していた場所を掠め取ったことにより、兄弟間に亀裂が入るのではという恐れが形を変えたものだった。不安が払拭された今、持続するわけが無い。
 ただ、兄が選ばれていたほうがよかったのに、という思いが消えることは無かったが。
 ローナフェレトは本音を飲み込み、顔を上げた。

「大任を引き受けましたが、私には知識も展望も足りません。兄上、至らぬ私を手伝ってくださいますか?」
「ああ、もちろんだ」

 頷くフォルスフェレトの表情は、立場が変わる前と何のかわりもない笑顔だ。
 そのことに酷く安堵したローナフェレトは、ようやく戻ってきたという実感と、強烈な疲労を取り戻し、その場に倒れ伏した。



 三日後、ローナフェレトは当主から小さな青い石と、短い言葉を受け取った。
 それらは【浮遊監獄】の鍵である。石を持ち、誰それを送りたいと願いながら言葉を唱えればそれが叶うそうだ。
 現在異世界の構造物を模している【浮遊監獄】であったが、本来あの遺跡は不思議な青い石で建造されており、渡された石はそのかけらのひとつだという話だ。
 鍵の仕組みは、願望器としての機能の延長にあるとしか思えなかった。もしかすると出口の方も、あの場所に青い石が埋まっているのかもしれない。

 また、イアリークのことについても聞かされた。
 イアリークは次期族長争いで殺されかけた際、彼を庇った母親によりあの遺跡に逃がされたらしい。
 彼を殺そうとした者たちを粛清した兄が迎えに行ったが、イアリークは兄を信用できず、遺跡の中にとどまった。
 やがて遺跡を訪れた異世界の女に同情した彼は、結局その女に置いていかれた。その頃には既に命を狙われていないと理解していた彼は、女に続き遺跡から出ようとしたが出られず、それ以来ずっとあの中に囚われていた。
 イアリークの兄が、自分の子孫たちに『いつか彼を解放してあげてくれ』と頼み、子孫たちが受け入れたそれが『ウェインリートの誓い』だ。

 イアリークの事情はローナフェレトの事情と少し似ているようで全く似ていない。
 イアリークはローナフェレトの事情を聞き、家督争いを繰り返す末裔たちに何を思ったのだろうか。
 それを聞きたいとは思わなかった。
 ただ、友情ゆえに、また会いたいと願っていた。
 イアリークが訪ねてくる日を待ち、またローナフェレト自身も彼を探したが、今生で再会が叶うことは無かった。

2013.12.30.up/裏主題:スーパーブラコン

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