記憶の箱庭1.浮遊監獄の囚われ人

 エルセリア草原の上空に古代遺跡【浮遊監獄】は浮かんでいる。
 宙に浮かんでいるが故に、その遺跡は何人にも出入り不可能。よって、建造目的、構造、全てが謎だ。【監獄】と名がついたのは、ただ外界と隔絶されているから。それだけの理由なのだ。

 しかし、その出入り不可能なはずの【浮遊監獄】の中に、人影があった。
 七階建ての箱型建造物がそのまま浮遊しているという奇妙な形状を持つ【浮遊監獄】。その屋上部分の柵から身を乗り出し、下界を見下ろした赤い髪の少年は、驚嘆の声を上げた。

「コレは凄いな。あの箱庭のような場所が東都カレルか」

 ローナフェレト・ウェインリート・カレルファス。
 東地方の貴族名を持つ彼は、代々東方領主を勤めるウェインリート家の三男だった。ウェインリート家の家督は長子相続ではなく、家長の指名で継承される。熾烈な家督争いの果て、異母兄――次男エアルディークの手で、この遺跡に飛ばされたのだ。

 一般には出入り不可能とされているこの【浮遊監獄】に、進入可能だということをローナフェレトはこのとき初めて知った。同時に、家督争いの決着がほぼついていることも知った。
 ローナフェレトをここに送る直前、エアルディークは勝利宣言を放った。それは、きっと事実なのだろう。慎重な異母兄は、根拠も無しにそのようなことは言わない。下手なことを口にすれば足元をすくわれるということを誰よりも良く知っているからだ。それが、エアルディーク自身の最も得意とする手法ゆえに。

 勝利の言葉は、同時にローナフェレトに対する痛烈な蔑みでもあった。
 ローナフェレトは異母兄の言葉に傷つきはしなかった。妾腹の子である彼は、もうずっと長いことそのような言葉を聴きなれていたからだ。
 問題は長兄、フォルスフェレトである。
 ローナフェレトは眉根を寄せ、遥か眼下の東都カレルを睨む。
 彼はもっぱら同腹の兄である長兄を補佐する立場にあり、元々当主の座は求めていなかった。
 とうの昔に候補から排除されていたローナフェレトがこのような場所に飛ばされた理由。それは、フォルスフェレトの補佐に徹するローナフェレトが邪魔だったからだろう。
 おそらく、ローナフェレトがいない間に、エアルディークは大きく動く。予測では、自分の不在中にフォルスフェレトに止めを刺す可能性が極めて高い。
 既に決着のついた相手への追い打ちは、エアルディークの常套手段だ。そうして消えた、エアルディークの弟の姿がちらりと脳裏を過ぎる。同腹の弟にさえ容赦がないのだ。異母兄弟に過ぎぬフォルスフェレトの命運は風前の灯だろう。
 肝心な時に、こんな場所にいる。盾になるという誓いを果たすことが出来ない。その焦りがローナフェレトの胸中に暗く渦巻いている。
 自分の存在理由を果たすため、ローナフェレトは一刻も早く帰らなければならなかった。



 心中穏やかではないローナフェレトは、柵に背中を預け、帰還の方法を検討していた。
 通って来たはずの入り口を戻ろうにも、何処にもそれらしきものは見当たらない。出口を探さねばならない。
 適当につけられたはずの【浮遊監獄】という名前が、案外と的を射ていることに、皮肉を感じずにはいられなかった。現状、ここはまさしく【監獄】として機能している。

 異母兄がローナフェレトを送った方法を用い、ここから脱出するという案は真っ先に捨てていた。
 理由は簡単だ。ローナフェレトがここに送られたとき、エアルディークは呪文のようなものを唱えていた。そして瞬きのうちにローナフェレトだけがここに送り込まれていた
 そのような技術はローナフェレトの知識にはない。事実上、再現不可能である。

 続けてローナフェレトが出した脱出案は、酷く単純だ。
 彼は下界を見下ろした際、自分の現在位置が、高い建造物の最上部だということを確認している。
 この最上部にあたる階層を調べ、出口が見つからなければ最下階を目指す。大抵、出入り口というものは両極部分にあるものだからだ。
 【浮遊監獄】がその名のとおり、出口の存在しない封印型の閉じられた空間である可能性はあるが、それを確認するためにもまずは動くべきだ。

 この簡潔な方針は、彼の性にあっていた。
 即決し、対角線上に見える箱型の部屋とその扉らしきものを目指し、ローナフェレトは歩き出した。



 ローナフェレトは問題なく部屋の前にたどり着いた。
 部屋の扉は金属で出来ていて、半透明で細かな凹凸のある硝子が嵌っている。硝子の中には鉄線のようなものが埋まっているの見えた。

「なんだこれは?」

 硝子の中に格子状に張られた鉄線の意味がローナフェレトにはわからなかった。普段の彼なら気が済むまで調べただろうが、今は時間の無駄だと切り捨て、見慣れぬ形の取っ手に手をかける。

 当然罠のことは考えた。しかし、例えそのようなものがあったとしても発動前に解除する技能がローナフェレトにはない。発動後に回避するくらいしか出来ることがないのだ。彼は無駄な調査に費やす時間を惜しみ、己の対処能力を信じ、一気に躊躇い無く引いた。

 全く錆びが浮かぬ扉は軽く、引かれるままに音も立てず開いた。
 その瞬間、扉から身を引き数秒待ったが、何らかの罠が発動する気配はなかった。
 ローナフェレトの罠への不安は杞憂に終わったのだ。浮かんでいた汗を、無意識のうちに袖口で拭う。自覚は無かったが、心臓が早鐘のように打っていた。

 部屋の中を覗き込むと、そこは奇妙に明るかった。天井に貼り付いた細長い白い棒が発光しているのだ。
 外から見たとおり部屋の形は箱型で、床には下に続く階段がある。
 古代遺跡にはごく稀に外観と内部の天地が逆転しているものが存在するそうだが、【浮遊監獄】に関してはその心配はないようだ。
 外部への転移装置のようなものは無かった。この瞬間、ローナフェレトの目的地は最下階に決定した。

 生き物の気配が特に感じられないことを確認し、ローナフェレトはその部屋に踏み込んだ。
 床は彼の屋敷のような板張りではない。歩くと仄かな弾力があるように感じられるが、それでいて足音はカツカツと硬い音が響く、駱駝色の素材だ。

「奇妙だな……」

 さすが古代遺跡というべきか、この建物全てがローナフェレトの理解の範疇外にあった。エアルディークの目的が、ローナフェレトの精神の疲弊にあるのなら、それは酷く的確に叶っている。
 精神的に酷く疲れた彼は、それでも帰還を目指し階段に足をかけた。



 階段を降り、建物の最上階についたローナフェレトは、まず周囲を確認した。
 細い通路が建物の長辺に沿って延びている。天井には、上階にもあった光る棒が等間隔に貼り付いていた。廊下の左側の壁が大きな窓になっており、その反対側にぽつぽつと扉が並んでいる。いくつか部屋があるようだ。

 降りてきた階段はそのまま階下にらせん状に続いており、この階を確認せずとも最下階を目指すことは可能だと予想できた。
 しかし、ローナフェレトはこの階を確認することにした。
 魔物などが潜んでいては、階段を下りている最中背後から襲われかねない。

 彼は慎重に、まず一番手前の扉を開けた。
 広い室内に金属製の大きい机が並べられ、その上に厚みのある板と、四角い箱が乗っている。机同士は薄い板で仕切られていた。

「…………」

 近づいて調べてみた所、真っ黒な四角い箱には、上部が欠けた円と棒を組み合わせた模様が小さく刻まれており、背面からは黒や灰色の奇妙な紐が何本も伸びている。それらは机の下に続いているようだ。
 箱や板をたたいても軽い音がするだけで何も反応がない。とりあえず無害そうだと判断し、ローナフェレトはそれらを無視することにした。

 部屋をもういちどぐるりと見回した彼は、壁に奇妙な文字が記された表が貼られていることに気づいた。

「これは、紙、なのか……?」

 薄く白いそれはローナフェレトの知る紙とは似ていなかったが、何かを記すために存在するという点では全く同じだ。
 結局この部屋には害になるものも得るものもなく、それは他の部屋も全く同じだった。



 建物は随分奇妙だが、この遺跡に魔物はいない。
 ローナフェレトはそう結論付けた。

 一匹魔物が棲み付くと、共生関係にある魔物がどんどん増え、一つの生態系が完成する。魔物が存在する遺跡では、ここのように一階層丸ごと、小物一匹見かけない状態はありえないのだ。

 東都にはもう一つ遺跡があり、そこには火竜が棲んでいる。
 そのような強大な魔物がいないことに、ローナフェレトは安堵した。
 罠はなく、魔物も居ない。
 少なくとも、【浮遊監獄】内部では、命の心配はしなくてよさそうである。

2013.11.20.up

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