イスクミアは大河リシューの河口に広がる港湾都市である。
主な産業は漁業、リグレダ砂丘の観光。そして、大陸東部の魔法領域との貿易だ。
大陸中央にあたるリシュー流域地方では滅多に手に入らぬものも、イスクミアでは目にすることができる。陸路ではあまりにも遠すぎて流通しないものも、海路を使うことにより入ってくるのだ。
例えば、一部の宝石もその一つに含まれている。
気の向くままに港湾都市イスクミアを訪れたマグノリアは、のんびりと商店街を歩いていた。彼の表情にはほんのりとした楽しみが浮かんでいる。
この街は、他では見ない珍しいものが沢山並んでいるからだ。
高級店などは避けながら、人々の日常に寄り添う、些細な贅沢となり得る品々が並ぶ店舗を中心に彼は覗いていく。
これまでの買い物で、戦果は十二分に上がっていた。乾燥果物の店では乳清でふやかして食べるらしいやたらと硬い名も知らぬ木の実を一袋購入し、雑貨の店では朽ちかけた袋の代わりに新しいものを買った。刺繍されている幾何学模様はリシュー流域地方でも、彼の故郷でも見ない珍しい図案で、彼は満足していた。
次に差し掛かったのは、宝飾店だ。
高級な宝石を扱う店ではなく、価値はないが美しい色味の硝子や、傷の入った石を簡単に細工し、日ごろ身を飾る装身具として販売している店だった。
流石に、旅人の身形で宝飾店に立ち入るのは躊躇われた。
一度宿に寄り旅の汚れは落としたし、旅人の中では割と清潔な方だと自分では思うが、そぐわないことには変わりがない。
少し離れた場所から中の様子を見てみると、こじんまりとした店舗の奥で、職人らしき厳つい男が加工作業を行っているのがうかがえる。
つい、彼の手元が気になって店に近寄ると、マグノリアの姿に気づいた店員が、おもむろに近づいてきた。
彼は、マグノリアの旅人然とした服装を気にすることなく、愛想良く笑う。
「もしよかったら、見るだけでも見てってよ」
「えっと、それではお邪魔します」
迷惑がられている様子は無かったので、マグノリアは彼の言葉に甘えることにした。
旅人故、身を飾ることはしない。だが、こういったものを眺めるのは好きだ。
石そのものの美しさも、土台の繊細な細工も、それらの作る調和も、心に楽しみをもたらしてくれる。
店内に陳列された商品を、流石に手にとることはせず、彼は順番に眺めていった。
そんな彼の歩みが、とある商品を見た瞬間止まった。
ひときわ目に付くものがあったのだ。
蕩ける様な飴色の石の中、封じられた葉の姿。まるで、生命を閉じ込めたかのような耳飾だった。
ただし、片側しか店頭には陳列されていない。
「これは……?」
マグノリアが思わず訊ねると、店員の男性が詰まらなさそうな表情を浮かべた。
「ああ、それ。うちの店で唯一の本物の宝石。東方魔法領域からの輸入品。すっごく珍しい品なんだ。ただ、片側しかなくてなあ……」
それを言うと、皆落胆して帰ってしまう。そう言う彼自身が酷く落胆した様子だった。
「親方も、いっそ潰して指輪か首飾りにでも仕立て直せばいいのになあ」
無言で細工を続ける職人に、ちらりと視線が向けられる。
マグノリアは少し不思議に思った。
「番が欠けていることは、そんなに価値を損なうものなんですか?」
彼の言葉は、自身が身を飾ることのない人間の、一種の戯言のようなものだったのかもしれない。
しかし、それを聞いた店員は、俄かに元気を取り戻した。彼は揺さぶるようにマグノリアの肩を掴んだ。
「……おたく、もしかして綺麗なら何でもいいって人種? なあ、これ買って行かないか?」
一瞬勢いにのまれかけたが、マグノリアは苦笑を浮かべ首を振った。
「……申し訳ありませんが、買えません。身を飾らない人間に買われても、その石には不幸な話でしょう」
マグノリアの頭にあったのは、剣を振るわぬものに玩具のように買われていった剣の姿だ。本当に目を引く石だからこそ、相応しい者に持って欲しかった。
彼の言葉は客ではなく冷やかしであると告白しているようなものだったが、店員は納得したように頷いた。
「如何にも剣士って感じの形だと思ってたけど、言ってることもそれっぽいなあ」
店員の視線がマグノリアの頭のてっぺんからつま先まで移動する。
くたびれた外套と、適当に見繕った上下。そんな飾り気の無い彼の姿で、唯一装飾的なものは腰に佩いた剣だ。
「まあ、目に楽しんでもらえればいいんだよ。気が向いたら、旅先で適当に宣伝しといてくれ。イスクミアのトレア宝飾店は、手ごろでいいものが並んでたぞーってさ」
店員はにやりと笑う。
客ではなさそうなマグノリアに、親切に対応してくれたのは元々そういう理由だったらしい。
マグノリアが彼に肯定を返そうとした瞬間、店の奥から声が上がった。
「この三流店員め。買う気の無い客に買わせるのがお前の仕事だろう」
手を止める様子の無かった職人が、その手を止めてこちらを見ている。
店員が渋面を作る。
「そりゃ、無茶ぶりってもんだろ。しかもそれ、客の前で言うかなあ……」
マグノリアも、彼のぼやきに密かに同意してしまった。
結局マグノリアは、飴色の石のついた紐を買った。
琥珀と似た色の石がついたその紐は、馴染みの物入れの新しい一部になっている。
前編・了
2013年8月13日~(WEBCLAP)